Umlaut

噂は飛ぶ - Remember fear - 04

「なに?!」
 トリスが椅子から弾かれたように立ち上がる。私は直ぐに装備を確認して、外に出る用意を。
「トリス、とにかく皆と合流して。私は先に外を見てくる!」
キョウコ、でもっ」
「きちんと支度ができたらでいいから! 少なくとも護衛獣とは合流しなきゃダメよ!」
 言うと、私は先に部屋を飛び出した。アグラバインさんの部屋に飛び込む。
キョウコ! 無事か!」
「はい! 一体何が……」
「わからん……じゃが、ただ事ではなさそうじゃ」
 既に斧を携えたアグラバインさんとまずお互いの無事を確認すると、私たちは同じように玄関へ向かった。
 調度品が音を出すほど空気が揺れるような事態。ただ事じゃないことだけははっきりしていた。
 大規模な爆薬か、召喚術を使う時のような規模の何かが起こっている。一気に高まった緊張が、私の頭の中をやけに冴えさせているような気がした。
「う……っ、なに、この匂い……!」
 玄関を開けると、妙にぬるい空気と共に何かが焦げるような臭いがした。思わず口を塞ぐも、同時に、村に火の手が上がっていることを理解した。
「これは……! キョウコや、皆の避難誘導を頼めるか?」
「分かりました! 詰所を目指せばいいですか?」
「そうじゃな、わしもアメルらを探して向かう。決して無理はするな。相手が何かは知らんが、逃げてでも生き残るんじゃよ」
「勿論です」
 頷きを返し、村へ走り出す。既にあちこちで炎が大きくなっているのが暗闇の中はっきりと分かった。アメル達は心配だけれど、アグラバインさんが先に向かうのなら私がいるよりもよほど心強いと思い直す。
 私は真っ先に宿屋へ向かうことにした。この村で一番外部の人が一つの建物に集まる施設だ。誘導の手は多い方がいいに違いない。

 レルムは、豊かな森に囲まれた村だ。流砂の谷が近く土地が痩せているけれど、決して特別乾いた気候ではない。森が自然発火するようなことはまずない地域だ。
 で、あれば。これは何者かの襲撃に違いなかった。目的は――アメルでないのならば、彼女目当てに集まった人達からの略奪か。
 金品の集まる場であることを、よからぬ輩が嗅ぎつけてもおかしくはない。やり方が派手すぎるきらいはあるけれど、火を放つなんて、やるからには命まで奪うつもりだろう。だったら、こっちもためらう必要は無い。
 殺されるくらいならいっそ、
 そんな風に思い切れるようになったのは随分前だ。アグラバインさんに言われるまでもなく、私は自分の身を優先するつもりだった。

 気配を殺すような真似ができるはずもなく、私は目立たないように迂回しながら宿を目指した。途中で武器のぶつかるような金属音が響き、一方的に蹂躙される人の声を聞いたからだ。それも一つや二つじゃない。……間に合うとは思えなかった。
 見捨てたなんて思わない。実際に手遅れだったのも『確認した』。建物は例外なく火を放たれていて中まで踏み込めなかったけれど、畑に、庭先に、軒先や、開け放たれた窓に引っかかるように、息絶えた人達がいた。黒い液体は血か、油か。多分前者だ。後者は…もしかしたら部分的にはそうかもしれない。
 交戦こそしていないけれど、分かったこともある。襲撃者は少なくとも人の形をしていて、皆一様に黒い装束や鎧に身を包んでおり、結構な数いること。そして村に火をつけ、民間人を一方的に殺しながらも野蛮な雄叫びはなく、略奪しているような感じでもないこと。
 相手は十中八九訓練された集団だ。少なくとも統率は素晴らしく取れている。下手に刺激すると複数人を相手取ることになりかねない。一人で行動している私が攻撃を仕掛けない理由はこれに尽きた。唯一召喚術を使うという手はあるけれど、誰の援護もなく使うには無防備になりすぎる。
 一人は拙かったな、と思いながらも、宿へ行って誰かの無事を確認して誘導できれば、旅人の護衛と連携が取れれば、と足を動かした。
 いつから燃やされているのだろうか、ぱちぱちと炎が爆ぜる音があちこちから聞こえる。夜は寒いくらいなのに、じっとりと汗ばんで気持ち悪い。
 宿までの道のりは長く感じられた。

 誰か。
 誰か生きている人は。

「……」
 祈るような気持ちでたどり着いた宿屋もまた、火に巻かれていた。戸口は開け放たれ、火が燃えさかる以外、中から音は聞こえない。既に逃げた後か、手遅れか。
 それでも誰かが抵抗した名残なのか、火の勢いはまだ弱かった。……中で悲鳴さえも聞こえないなら、襲撃者もいないかもしれない。私は僅かばかり逡巡した後、煙を吸わないように身をかがめながらそっと中へ入った。
 途端に熱さに身体を包まれる。水を被れたら良かったけれど、今更遅い。外からの視線も考慮に入れた上で、そっと這いつくばるように移動を開始した。
 宿屋の一階は受付と食堂になっている。戦闘があったのだろう。何人か倒れている人を見たが、どれも既に事切れた後だった。身なりを見るに護衛じゃない。抵抗らしい抵抗などできなかっただろう。その中で、守るかのように折り重なった遺体は女将さんだった。背中に矢を受けたらしい彼女の腕の中には小さな子どもがいたけれど、そちらも息はなく、私は奥歯を噛み締めた。
 こんな、子どもまで。
 女将さんは抵抗したような跡はあまりなく、乱暴されたような感じでもなかった。ただ気になるのは、矢を受けた後に首を掻き切られている点だ。確実に殺そうとした痕跡は子どもも例外じゃない。
 ……普通、ここまで徹底するだろうか。
 じわ、と胸の中に嫌な感覚が芽生えた。他の遺体も確認して、どれも致命傷を負わされていることを知る。ある人は胸を貫かれ、ある人は腹を裂かれて。一方で逃げられなくするために足の腱を切ったような形跡はなく、どれも死に至らしめるための最低限の傷、といったような具合で、私は違和感を覚えた。

 これじゃ、まるで殺すことこそが目的みたいじゃないか。

 嫌な感じだった。理由もなく村一つを襲って誰彼構わず殺すようなことなんてあるはずがない。でも、私はそういう非道を働く組織に心当たりがある。
 無色の派閥。それが噛んでいる可能性はないだろうか。
 変な汗が滲んだ。目的のためならどんな犠牲も非道も厭わない、倫理もなにもない破壊集団。それがこの村に、――アメルに目をつけたのだとしたら?
「っ」
 思い至った考えに踵を返す。嫌な記憶が呼び起こされる。
 絶対に、アメルを守らなければ。彼女の尊厳が傷つくことがないように、この凶事を切り抜けなければ!
 私は突き動かされるかのように宿屋を飛び出した。避難誘導のことなんて、頭から消え失せていた。



 炎の勢いは徐々に増していた。二人一組、あるいは四人一組で行動している黒服の影を避けながら、私にできたのは村の中の遺体を数えることだけだった。皮膚を舐めるような熱に晒されながら、じわりと生理的な涙が浮かぶ。
 焦りはあったけれど、アメルはこの村で一番守られているはずの人間だ。多分真っ先に保護されているだろうし、アグラバインさんが行ってくれたのだから……と自分自身を押さえつけるようにして考える。ロッカやリューグもきっと……きっと、大丈夫だろう。自警団の中でも強いと言われている二人だ。それに二人だってアメルの元へ向かっているはず。
 息苦しさと極度の緊張を自覚する。足がもつれないようにしながら詰所を目指していると、遠目に、黒い兵士たちが大人数で固まっているのが見えた。
「隊長、この辺りは全て確認を終えました」
「取り逃がした者はいるか」
「該当地区にはいません」
「よし。では手筈どおり別部隊と合流し聖女を確保する」
「はっ」
 男達の言葉が聞こえる。聞こえてきた声に頭が冴えるような、真っ白になるような感覚になった。
 ――アメル。
 誰一人助けられない状況も、誰かと会話さえできず、何が起こっているのか分からない現状も、男達の話で一つだけはっきりした。
 彼らの目的はアメルで、彼女を得るためにこの村に居る人間全ての口封じをしようとしているのだ。手練れの集団。統一された服装。言葉遣い。ならず者の手口じゃない。傭兵でもない。
 男達が歩いて行った方向には詰所がある。このままではまずい。今こうしている間にも、アメルはさらわれようとしている。アグラバインさんはアメルの所へ行くと言ったけど、この状況じゃ合流できているかどうかは分からない。いくらアグラバインさんが並外れた強さを持っていても、数の力で押し負けてしまうほど相手が多すぎる。一人ならもしかしたらそれでも勝てるのかも知れないけれど、誰かを護りながらなんて……。
 黒服の男達の口ぶりから、アメルは直ぐに殺されることはなさそうだけれど、生きたまま人の尊厳を奪うことなんていくらでもできる。多分、黒服の男達ならその心得もあるだろう。
 十数人が静かに、辺りには目もくれず速やかに移動していくのを焦れながら見送った私は、彼らとは違うルートで詰所へ向かおうと足の向きを変えた。

「っ、え、」
 静かに、炎に照らされながら立っていたのは、老年の男だった。

 黒服ではない。鉈を持ち、その向こうの炎の揺らぎのせいで表情が見えない。まるで幽鬼のように思える。
キョウコか」
 名を呼ばれ、目をこらす。出で立ちからして村の人だろうことは分かった。返事をしながら顔を見ようとして、どうにか、厳しい顔をしているようなのが見えた。
 ……今の村の人全員の顔を把握しているわけではないけれど、多分、確か村長の家に連なる人だった気がする。直接話をしたりすることは殆ど無かったけれど、やっぱり村の人なのは間違いない。私は初めて無事と言える人を見つけることができて、素直に良かったと思った。
「っ、おじさん、よかった。怪我はありませんか? 他の人達は無事ですか? 避難は、」
 近寄りながら声を掛ける。と、次第に彼の表情がはっきりと見えるようになった。……厳しい顔に見えたのは、私の思い違いだった。
「また、お前か」
「……え」
 ぼそりと吐き出された声は重く、地面に放り投げられたように感じられた。じっと私を見る目は、状況に対するものじゃない。私自身に向けられた、彼の感情だった。
 この目に近いものを知っている。私を、はぐれ召喚獣だと蔑視した人のそれとよく似ている眼差し。
 彼の中にある、私への、決して良いとは言いがたい気持ちがあることを察した私は、それ以上足を動かすことができなくなった。
「お前は村に災厄を呼ぶ……ロッカたちの親を殺した召喚獣も、お前が喚んだものだったんだろう!? あの二人だけじゃ飽きたらず、今度は皆殺しか……!」
「な、にを」
「惚けても無駄だッ! ……一体俺たちが何をしたっていうんだ? 恩を仇で返すような真似を……!」
 強い炎に照らされて、おじさんの持つ鉈の刃が艶かしく光った。……その意味を理解しないわけにはいかない。
「死ねッ! 忌まわしい奴め!」
 振りかぶった。血走った目。雄叫び。殺意。
 硬直した私に襲い掛かったのは、怪しく笑ったその人の――
「!」
 鉈と、急に私の視界を覆ったなにかがぶつかる金属音だった。
「なにしてやがるッ」
 明るい背中。赤い。アグラバインさんじゃない。でも、やけに広く見えた。
「りゅ、ぐ」
「退けリューグ。ソイツは厄を呼び寄せる。ここで殺しておかなければ」
 男の形相はリューグを前にしても変わらなかった。……ずっと前、私がアグラバインさんに保護されたときからこの人は、私を歓迎してなかったのだ。
「なにいってやがんだ、コイツはなにも関係ねえだろうが!?」
「お前たちの親が死んだのはそいつのせいかもしれないんだぞ!」
 ぎゅっと胸が収縮して、冷たいような感覚が腹部を通って足先へ落ちていく。そんなこと、してない。でも、それを証明することはできない。
「あのときだってソイツからは厄介事の気配しかしなかった! 今回もそうじゃないと言えるか?!」
 身体が熱い。炎が近いんだ。
 火の粉が舞い上がり、建物が崩れる音が聞こえる。でも、身体は動かなかった。目さえそらせない。リューグの肩越しに感じる男の殺意に声を、思考を潰される。
 この先は聞きたくない。聞きたくないのに、耳をそばだてずにはいられない。
「……コイツのことはアンタより知ってるつもりだ。それに、今はこんなことしてる場合じゃねえだろ」
「皆死んだよ。リューグ、お前もここに来るまでに見たんじゃないのか? あの黒いやつらは誰彼構わずに殺してる。皆、殺される。――だったら、せめて死ぬ前にそいつを殺して ァ、ガッ」
 男の声が途切れて、その身体が前のめりに倒れた。頭に矢が突き刺さっている。……いや、頭だけじゃない。何本か、身体に矢が刺さって、あ、また、刺さっ
「くっ! おい、」
 目をそらせないでいると、急に腕を引っ張られた。視界が揺れる。それでも臥したものから意識がはずせない。ぴくりともしない。……意識が、ない? 本当に?
キョウコ!」
 私とそれの間に割って入るようにしてリューグの顔が現れた。見知った顔。今度こそ状況に対する険しい顔にようやく硬直がとれる。
「あ」
「今はとにかく、アメルんとこに行く!」
「でも、おじさんが」
「バカ野郎! 見てわからねえのかよッ」
 有無を言わさずリューグが私の手を引いて走り出した。直前、私が見たのは血だまりのなかに浮かぶ男の体だった。

 リューグに引きずられるようにしながら、どうにか自分の力で足を動かす。足が動くようになると、手は離してもらえたしリューグの後について走ることは難しくはなかった。けれど、身体の自由が確保できると、今度は胸の中に何かがせり上がってくるような感覚を覚えた。
 頭では理解している。あのままずっと立ち尽くしていれば、狙われていたのは私とリューグで、だから直ぐにでもその場を離れなくてはいけなくて、弓での狙撃は距離を詰めにくくて、せめて遮蔽物を利用しなくてはいけなくて。
 だから、正面から向かっていかなかったリューグの判断は正しい。私とリューグは稽古と手合わせのようなことはしていたけれど、連携を取る訓練はしてなかった。リューグが私に召喚術を使えと、援護しろと指示しなかったのも、私の様子を見てのことだろう。だからアメルの元へ行くことを優先した。素晴らしい判断だった。
 でも、私は突きつけられた衝撃を上手く飲み込めないままで、身体は動くのに今度は頭が上手く働かなくて。今からでも、私たちの後を追ってきてるだろう何者かを召喚術で牽制した方がいいのではという思いが拭えずにいた。でも、そのためにリューグに敵に向かってくれとは言えなくて、

 私は、 少しだけ考える時間を、
 リューグと話がしたくて、

 こみ上げてくる『何か』を嚥下する。
 結局、心を置き去りにするように、歯を食いしばって炎に巻かれる村の中を走り抜けるしかできなかった。

2020/06/15 : UP

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