Umlaut
ゆるしの秘跡 - Talk with you - 02
ふかふかのベッド。あまりにも柔らかいから眠れるのだろうかと不安になったけれど、潜り込めば、まるで身体が沈むような感覚と共にあっという間に意識は無くなっていた。
安心したからだろうか。目が覚めた直後は少し気分も良くて、頭もすっきりとしていた。時計を見れば、きっかり三時間。眠れないことは無いけれど、これ以上寝てしまっては夜に休むことができなくなってしまう。先輩達に聞いておきたいこともあって、私はベッドから出ることにした。
そっと部屋をでる。驚くほど綺麗に、トリスが玄関ホールから客室廊下に入ってくるのが見えた。入れ違いになったのだろう。見たところ、大きな怪我もなさそうで安心した。
「キョウコ! よかった、キミたちが無事で。先輩達から聞いて、今起こしに行こうと思ってたの」
「トリスたちも無事でよかったわ。……アメルのことも、ほんとうにありがとう……それと、……ごめんね、頼れる人が居なくて、お願いしてしまって」
「いいのよ。これもなにかの縁でしょ。それに、あたしが引き受けるって決めたんだもの」
どん、と胸を叩いて笑うトリスの顔に陰りは見えない。……よかった。本当に。トリスのイメージが間違えていたら、今頃どうなっていたか。
「それで、何かあったの?」
トリスは私を起こしに来たと言った。こんな状況だ。ただ無事を確認するだけなら起こそうとは思わないはず。
案の定、彼女の表情が曇った。
「ちょっとね、マズイことになったの。黒服の連中が屋敷の周りを取り囲んでて」
「! わかった。私も行く。何をすれば良い?」
思ったよりもずっと行動が早い。というか、ゼラムに入って来れたのか。とすると、集団で追いかけてきたわけではないだろう。不審者にもほどがある。絶対に門番に止められるはず。少しずつ……バラバラに入って来たから時間が掛かっただけで、元々つけられて、泳がされていたのだろう。確かに、私たちは案内人としては優秀だ。
でも、王都であること、明るいうちであること、不意打ちで無いこと、村の時とは条件が違う。完膚なきまでに叩きのめして追い返すことは難しくても、この場を切り抜けられる可能性は十分にあった。
「ギブソン先輩が表で連中を『注意』してくれるって。もし実力行使に出られたときのためにフォルテが護衛にいてくれてるわ。ケイナはミモザ先輩と一緒にアメルを連れて裏口から『お散歩』しに行く組」
「……なるほど」
本当に、どこまでも先輩達は優しい。
トリスの話を聞きながら、部屋に戻って装備を確認する。とはいえ、大したものはない。今回も私ができることは後方支援で精一杯だろう。訓練を受けたらしい男達には装備も含めてかなうものじゃない。あまり、前に出て足を引っ張ることがないようにしなくては。
「ロッカとリューグはどうしてる?」
「リューグは表でロッカは裏ね」
「なるほど……じゃあ、私は表でリューグをサポートするわ。多少無理がきくでしょう」
「止めないんだ?」
「止められなかったでしょ?」
ロッカは心配しなくても、無理をするようなタイプじゃない。いざとなれば逃げることを優先できる。でも、リューグは違う。竦むことなく踏み込めるのは素晴らしい力だとは思うけれど、それ故に退く選択肢がほぼない。なす術もなく逃げるしか無かったこともあるし、相手が自分よりも強かったとしても向かっていくだろう。ロッカと別行動するなら、私が適役だと思う。
トリスの疑問に私が答えると、彼女は苦笑気味に頷いた。あの夜、果敢にも向かっていったリューグが、今回そうしない理由がないもの。
「わかった。ネスもギブソン先輩に何かあればフォローするつもりみたいだし、あたしは裏に行くわ」
「どこに誰が潜んでるか分からないし、気をつけて」
「そっちもね」
先輩達が居てくれるからか、お互いに村で別れたときよりも表情は強ばっていないように思えた。そのことにトリスも気づいたのだろう、私たちはふふ、と笑い合って。
「あたしたち、派閥を出た後の方が話している気がしない?」
「そうね。今度お茶でもする? アメルも一緒に」
「いいわね、それ!」
どちらともなく『次』の提案をして玄関ホールへ出た。そこで直ぐに玄関と裏口を目指し別れる。玄関ホールを抜けると、身を潜めて待機しているフォルテさん、ネスティ、リューグの姿があった。そっとリューグの後ろに駆け寄ると、私に気づいたリューグがちら、とこちらを見た。
「随分と余裕だな?」
「休めるときに休まないとね」
「で、こっちに来た以上はそれなりにやるつもりなんだろ?」
「多少は」
ひそひそと言い合いながら、様子を伺う。私たちを見てネスティは眉をひそめたけれど、それだけだった。外でギブソン先輩と誰かがやりとりをしているのが微かに聞こえてくる。
頃合いを見計らって、フォルテさんが、そっと呟いた。
「こういうのはな、頭を崩せば大体なんとかなるって相場は決まってるんだ。あの金髪頭の槍持ちを狙う。――いくぜ!」
外で聞こえた物騒な号令に呼応するようにフォルテさんが先陣を切って、ギブソン先輩の前に躍り出た。それが合図だった。
******
結論から言うと、ギブソン先輩の召喚術を前に、私どころかリューグでさえも大したことはできなかった。ギブソン先輩よりも前に出ることができなかったのだ。その、圧倒的な召喚術を前に。フォルテさんなんて途中から本当にギブソン先輩の盾役で、屋敷の表の通りで待ち構えていた男達の大半を二人だけでどうにかしてしまっていた。……人の敷地に隠れて、植木鉢だの、門だのを壊すような輩の凶刃を、一切寄せ付けなかった。
私とリューグ、ネスティがやったことなんて、本当に二人の打ち漏らしで辛うじて動ける輩の意識を奪ったり、戦闘不能まで持って行くことくらい。
そうしてフォルテさんが最初に言っていた金髪の槍を持った男が膝をつきかけたところで、横やりが入った。どうやら裏口にもしっかりと手が回っていたらしい。それもミモザ先輩達によって撃退されたようだったけれど。
銃装備の……ロレイラルの機械兵士が、槍の男――イオスというらしい――と合流し、男達は引き上げていった。
「なんとか、なった……」
「……到底、勝てたとは言いがたいがな」
立ち尽くしながら呟くと、勝負を決められなかったからか、リューグが苦々しく吐き捨てた。それでも、誰一人大きな怪我をすることなく戦闘を終えることができたのは大きい。
安堵から腰が抜けなかったのが不思議なくらい、私は棒立ちで黒装束が視界から消えていくのを見送った。
「やっぱり、先輩はすごいわね……」
思わず口に出すと、聞こえたのだろうギブソン先輩が苦笑した。
「キョウコだって、あのくらいはできるはずだよ」
「……う……」
流石に先輩ほどのことはできない。でも、任せきりになったのは事実だ。言葉に詰まる。けれど、安心したからだろうか、歪ながら口角は上がっていたと思う。
結局、私たちも再び屋敷の中に戻ることになり、一度自分にあてがわれた部屋へ引き上げた。誰かの通報があったのだろうか、騎士団が駆けつけ、対応には先輩達が動いてくれた。
二度目の襲撃。分かったのは指揮官として動いていたらしい槍の男・イオスと、機械兵士・ゼルフィルドという名前だけ。でも。
「機械兵士がいるということは、召喚師がいるはず。そのルーツが分かれば元を辿れるかも知れないけど……あまりにも手がかりが無い」
誰ともなく集まった広間でそう漏らすと、先輩達は提案を。
「騎士団には強盗ってことにしておいたわ。見回りを強化してくれるらしいから、今日みたいな強硬手段はとれなくなると思うわよ」
「やつらの正体が分からない以上、迂闊に動くのは危険だ。しばらく、ここを拠点にして相手の出方をうかがった方がいいだろうな」
「でも、それじゃ先輩達に迷惑が」
渋ったのはトリスだった。これ以上迷惑をかけるのが嫌だと。村が襲撃された夜、私に言ったように。
けれど、先輩達はあっさりとしたものだった。おどけて、先輩命令だと言って。きっとそれはトリスの心をほぐすだけではなく、ネスティを納得させるための言い方でもあるのだろう。自分たちの我が儘だというていにしておけば、二人の心苦しさは少なくなる。そしてトリスたちも先輩達が本当に、心からそう言ってくれているのだと分かる。
「そこで他人事みたいにして見てる薄情な妹弟子にも言ってるのよ? ちゃあんと聞いてたのかしら?」
「え?」
ミモザ先輩に言われ、私は虚を突かれて、返事ができなかった。ギブソン先輩が気遣わしげな眼差しで私を見る。
「キョウコ、君は自分でも気づいてないかも知れないが、少し様子がおかしい。さっきの戦闘でも、君はもっと戦えたはずだ。怪我を隠していたり、なにか気になることがあるのではないかな」
そうして私は、先輩のみならず、その場全員の視線を一身に受ける羽目になったのだった。
瞬間、言葉に詰まって、頭の中に昨晩の光景が断片のように思い起こされて。
これを話し終えたらどんな風に見られるのだろうと、久しぶりに緊張した。蒼の派閥に来た頃には既に、自分がどんな風に見られるのかについて構える癖がついていたような気がする。
先輩達は既に知っていることだ。先輩達に確認したかったことだ。だからこっそり聞こうと思ったのに、タイミングが悪い。それでも、いつか他の誰かから知らされるくらいなら。ここで自分から切り出しておいたほうがマシだなんて思う程度には、引けなくなっていた。ここで黙っていたって……リューグには、問い詰められるかもしれない。もしかしたら既に、何かしらを疑われているかも知れないけれど。
それは、嫌だ。
「……私のせいかも、しれないんです、村が、焼けたのが。私が、私がいるから、私のせいで、あの人が、」
「どういうことかしら?」
頭は冷静なのに、心臓はうるさかった。どくどくと早鐘を打つようにして、思考を乱す。
言葉にするのは苦痛を伴った。自分で、そうかもしれないことを、そうかもしれないと説明することは辛い。口にすればそれが真実か事実のように思えてきて、それを自分自身が完全に理解してしまいそうで。
「……あの時、私が死んでいれば、こんなことには」
「キョウコ」
酷く静かなのに怒気をはらんだようなミモザ先輩の声に、ビクリと身体がはねた。――この人が得意なのはメイトルパの召喚術。本能的な彼ら召喚獣を扱うための術を、良く知っている。
下がっていた目線をのろのろと上げる。メガネの奥の、いつもは穏やかな瞳が、今は鋭くて。
「蒼の派閥召喚師としての心得を、言ってみなさい」
「……」
「キョウコ」
「……いつでも、冷静に」
「続けて」
「自分の感情を、客観的に見つめること。召喚術の暴走は、自分のみならず、周りに甚大な被害が出る場合があることをくれぐれも忘れてはならない。混乱時においては、論理的思考が何よりも大切である。……ただし、自分が信じたものを心のまま受け入れることも、忘れずに。どんなに低い可能性も侮ってはいけない。また、それにとらわれ過ぎてもよくない。召喚師として、視野は広く持て」
何度も説かれた古い言葉。何度も何度も復唱した。出だしさえ紡ぎだせば、後はほとんど勝手に言葉があふれ出るようになるまで。
おかげで、断片のように湧き上がり頭を満たしていたものは消えていた。
「ちょっとは落ち着いたかしら? 話、出来るわね」
「……はい」
「村が襲われたのは私のせいだ、なんて……あの連中に、何か言われたの?」
「いいえ、黒服の男達については、もしかしたら無色の派閥が絡んでいるかも知れないとは思いましたけど、私についてのことは何も」
「『黒服の男達については』、ね……。じゃあ、他に何かあったのね」
「……」
沈黙が痛い。はいと返事をしたに等しいとは言え、それをここで答えてもいいのか。既に聞いてしまったリューグはともかく、ロッカとアメルに嫌な思いをさせてしまわないか。
私がどう言ったものかと考えあぐねていると、リューグが沈黙を破った。
「その前に俺から聞いておきたいことがある」
「それは、あたしの質問にも関係していることかしら」
「ああ」
「じゃ、どうぞ」
「……コイツが昔起こした召喚術の暴走ってやつは、ちゃんとした失敗だったのか?」
言い方に違和感があった。けれど、リューグが何を言いたいかは分かる。彼らの、両親の死にも関係するかもしれない、私の犯した、最初の、
「記録ではそうなっているわね。現場も見ようと思えば見に行けるわ」
「その記録ってのは、信用していいのか」
「そもそも暴発という事実があったから彼女が派閥入りすることになったのよ? だから現場の調査もきっちりやったわ。実際に調査したのはあたしたちだしね……。典型的な力の暴発。当時のキョウコの発言から彼女が使ったのは未誓約のサモナイト石だった。そのサモナイト石は私たちも確認したけど、暴発の影響で砕け散っていたわ」
「召喚術は理論によって行われている、言わば『仕掛け』だ。その仕掛けそのものは至って単純だし、子どもといえど誓約済みのサモナイト石ならば召喚術が正しく発動することもあるかもしれない。
しかし……誓約というのはね、膨大な技術と知識、それに素質とも言うべき魔力が必要だ。何も知らない子どもができることじゃない。仮にあの時使われたのが誓約済みのものであったとしても、サモナイト石は砕けていた。これは、誓約が無理矢理外されたに等しいんだ。誓約というものはとてもデリケートで、召喚した本人でないと外せないものなんだよ。そして当人であろうとも、無理に誓約をはずそうとすると、召喚獣の存在を消してしまいかねない。大きな危険を伴う」
毅然としたミモザさんとギブソンさんの様子は既に蒼の派閥の召喚師としてのそれだった。顔をわずかに上げると、ミモザさんが私の背を優しく叩いてくれた。
「……」
「さて、質問には答えたわ? あなた、キョウコがなんで自分を責めてるのか知ってるのよね?」
「……ああ。コイツが、……村長に襲われたんだよ。コイツに傷があるとすりゃ、村長につけられたモンだ」
リューグの言葉に、皆が息をのむ気配がした。ロッカとアメルは、これでもかと目を見開いていて。リューグは分かっているんだろう、そのまま言葉を続けた。
「俺たちの親ははぐれに襲われて死んだんだがな……それを召喚してたのは、キョウコなんじゃねえかって。あの時も、今回も、キョウコがそういう厄介モンを呼び寄せたんだろうってな」
「そん、な」
「おいリューグ、本当に村長がそんなことを」
「誰かに向かって鉈を振り上げてるのを見間違いで済ませられるかよ? ……村の詰所で仮眠してた時も、その話は耳に入ってきた。キョウコはよそ者だから信用できねえってよ」
空白だった。
空気じゃない、時間さえも止まったかのような感覚。視界が歪んでいるような気がする。胸が重い。
「なんでそんな大事なことを黙って」
「ハッ、言ったところでどうなる? 俺たちは召喚師じゃねえんだ、真実がどうかなんざ分かりっこねえだろうが……それに、言えば兄貴のことだ、何かしら村長に言いに行ってただろ」
「当たり前だろう!? そんな、」
「そうやって声がでかくなっていったら、そのうち必ずコイツがそれを聞く羽目になる」
ロッカの言おうとすることを悉くさえぎって、リューグは声を荒げた。
「そしたら、コイツになんて言う? 俺たちがかける言葉なんざねえだろうが?」
「それは、そうかもしれない、けど」
「そうやって偽善者ぶって庇ったつもりでいるのかよ!? それで楽なのはテメエだけだ……コイツが、肩身の狭い思いをしなくちゃならないのは変わらねえ」
――。
「……なんだよ、言いたいことがあるなら自分で言えよ、キョウコ」
私がリューグを見つめていると、当の本人は私を睨んでいるのかと思うほど真剣な目でそう言ってきた。
「リューグは、信じてくれるの?」
「信じるも何も……テメエがそんなだから……ッ 憶測で物を言うしかねえんだろうが!」
「落ちつけ、リューグッ」
「兄貴は黙ってろ! ……おいキョウコ、はっきり言えよ。否定にしろ肯定にしろな、テメエがなにか言わなきゃ、なにも進まねえんだ」
厳しく聞こえる言葉は、責めているように聞こえる。リューグの言い方は、いつだってそうだ。迷いが無くて、自分が何を優先するべきなのか知っている。周りの言うことなんて関係ない。その優先されるべき事柄がぶれないから、自分の中にある芯が折れないから、他の人からどう思われようが、彼はしっかりと立っていられる。
記憶の中にある、ロッカやアメルの後をついていっていた小さい頃のリューグとは違う。彼は強くなった。
それを羨ましく思うのは、お門違いなのだろう。だって、私にはそんなに強い気持ちを持つ勇気は持てない。
私たちのやりとりをじっと見つめる視線の数に竦みそうになりながらも、私は、リューグの言うことはもっともだと思った。村に帰ってからはずっとそうだ。いつだって、リューグは間違ったことは言ってない。
「……身を守るためよ」
別に、言えないわけじゃない。けど、聞いたって面白くも無い話だし、何より、話せば皆の態度が変わるんじゃないかと、それが不安で、怖かった。
「順を追って、話すわね」
2020/07/12 : UP