Umlaut
ゆるしの秘跡 - Talk with you - 03
無色の派閥の召喚師たちの手によって森の中で召喚された私は、正体不明の召喚獣ながら、どう見ても非力な子供だった。それでももしかしたら何かあるだろうと調べられるため、しばらく、『飼われて』いた。
彼らの立場を考えれば分かる通り、儀式が行われたのはテロ活動のため……シルターンの神――それもとびきり力の強い、龍神さまだ――を召喚するためだった。今となってはどうして悪鬼の類いではなかったのかという疑問は残るけれど……ともかく。その成果が私なのだから、彼らの思惑が外れたことは言うまでも無いだろう。
とは言え、儀式の失敗により呼び出された私はその場ではぐれ召喚獣というありがたくも無い立場を手に入れた。私を呼び出すために使われたサモナイト石は木っ端微塵。そしてその儀式に関わった召喚師と研究者の半分は儀式中の事故で命を落とした。……いや、それは事故というより、生贄だったのかもしれない。
それからは『はぐれ召喚獣』らしく過ごすよりほかなかった。人としての尊厳も、なにもかもを奪われて。そうして、なんの力も無い子どもに一体何が出来ると言うのだろう。実験と称して私は血を吸われ、身体を刻まれ、異界の技術を試され、いいように扱われ、ぼろぼろになって、そして――あいつらは私を処分することにしたのだった。
「ある日、サモナイト石が暴発したわ。……馬鹿よね、いくら子供だからって、別の世界から来た、なにも知らない召喚獣だからって、受け答えができないからって、自分たちのことを隠しもせずにべらべらしゃべってた。だから、……だから私は、アイツらが私を処分する話をしたその日に、アイツらの目を盗んで、手当たり次第にサモナイト石を握って、アイツらが普段やっていたようにして、やってやったのよ」
駄目でもともと。どうせ死ぬしかないのなら、……さんざん弄ばれて、絶望のまま息絶えてしまうのなら、一か八かの途方も無い賭けをしたかったのだ。何もしなくたって、死んでしまうのだ。あいつらもろとも死ぬことになったとしても、あの頃の私にはどっちだって同じだった。幸い処分が決まる頃には私が脅威でないことは知られていて、私もボロボロで従順になっていたから、たった一度、力を振り絞って、目を盗んで行動することができた。
生きたくて、いや、死にたくなくて、幼かった私が直感的にサモナイト石にその可能性を見出したのには自分でも感心する。力じゃかなわないことなんて、分かり切っていた。逃げられるとも思わなかった。死ぬか、殺すかだと。
結果、私が蒼の派閥に目をつけられることになった暴発が起きた。その場にいた召喚師は全滅。私は、全壊した拠点の真ん中で、少なくとも直ぐには動けないほどダメージを負わせたのを確認した後その場から逃げた。
行く宛などなかった。でも、そこに居られるはずもなかった。なにが起こったのか、暴発の理由なんて分かるはずもない。ただ、自分の意志であの召喚師たちを殺したことだけは、理解した。後悔なんて一切しなかった。
死ぬというのがどんなことなのか私は知らなかったけれど、あの時死にそうになっていたことは確かだったし、何かとても恐ろしいことをされるのだと思ったのは間違いない。それから逃げることはまさに本能だった。
いいか悪いかなんて関係ない。ただ、必死だったのだ。今だって後悔してない。それが私という人間の答えだ。
だって、そうじゃなきゃ殺されていた。
「あとは、森の中を彷徨っていたらアグラバインさんに助けてもらって、村に」
アグラバインさんに発見してもらい、声をかけられ、傷の手当てを受け、温かい食事とお風呂を頂戴し、安心して眠れる場所を用意されたのだ。その時初めて、この世界に来て人間らしい扱いを受けた。人間として、子どもとして、アグラバインさんは私を労わってくれた。心配してくれて、優しくしてもらった。アグラバインさんだけが私のいのちに、人生に、責任を負おうとしてくれた。守ろうとしてくれた。
だから、アグラバインさんだけが特別なのだ。
「私がこの世界に呼ばれて、アグラバインさんに拾われるまでの話は、ざっとこうね」
アメルが狙われているというのに、こんなに話をしていていいんだろうかという疑問がよぎる。それでも、誰からも文句は出なかった。退屈そうにしているバルレルでさえも、だ。悪魔たる彼なら、もしかしたら既に、私の中の良くない感情に気づいているかもしれない。
「それで、キョウコが自分を責めているってワケね。自分があのときサモナイト石を暴走させたせいで、召喚獣をはぐれにしてしまって……それが双子くんたちのご両親を襲ったかも知れないって」
「さらにキョウコを召喚した無色の派閥の者に生き残りがいて、それが今回の村の襲撃に関与しているのではないか……という発想になったのか」
先輩達の言葉に頷く。奴らの狙いはアメル以外に無いようだったけれど、本当にあの時の襲撃が黒服の男達だけだったかどうかは分からない。あの男……村長の口ぶり。無色の派閥の一件を思い出すには十分だった。
「私は逃げた後……あの場所には近づいていません。だから、あそこがどうなったのか知らないんです」
先輩達は師範と共に当時現場を訪れ、調べている。だから私よりもずっと詳しい。それに、私以外の人間の口から語られることによって信憑性も増すだろう。
私は判決を言い渡される罪人のような気持ちだけれど、先輩達からここで、説明が欲しかった。どんな結果になっても。
「なるほどね……。なら、尚のことキョウコが無関係だって、きちんと言っておかないといけないわね」
無関係。ミモザ先輩ははっきりとそう言い切った。フィールドワークが得意だった彼女は、当時もしっかりと現場で痕跡について調べたのだろう。声は自信に満ちていて、この場に居合わせた面々の緊張感をほぐすには十分だった。
「あ……」
「キョウコは大切な妹分だもの?」
ミモザ先輩が優しく笑む。……胸が苦しくなった。
「さて、キョウコの召喚術が失敗したのは確かだと言ったが、現場を知らない君たちにとっては、その結果をいくら説明しても納得がいかないかもしれない。だから、召喚術とはぐれ召喚獣の関係について説明すれば、当時を知らなくてもきちんと納得してもらえるかと思う」
「キョウコが、君たちのご両親が襲われたって言うはぐれ召喚獣と関係がない最大の理由はね、なにより襲ったのがはぐれ召喚獣ってトコロにあるのよねえ。召喚術って言っても、基本的にはすぐに送還するのが習わしなの。何故か? 召喚獣は私たちよりもずっと強い力を操れる。信頼関係や強い主従関係がなければとても危険な存在なの。帰れなくなることを承知で、術者を死に至らしめることもあるほどにね」
「だから私たちは、誓約といって、相手に名前をつけて強い枷を嵌める。嫌な言い方かも知れないが、安全にコントロールするためだ。その装置としてサモナイト石のような魔石を用いる」
「でもね、そもそも召喚術……を、使うための誓約の儀式自体、とても難しくて危険なことなの」
あ
「トリスが側に置いてる護衛獣くんは、彼女の実力の表れ。さっきギブソンも言ったけど、知識の無い人間がやろうと思ったって、できるものじゃない。だから、元の世界に帰れないでいるはぐれ召喚獣は、みんなその儀式を受けたものたちってこと。必ず召喚した誰かがいるものなのね」
「そして、召喚術や誓約の儀式が失敗するとき……魔力が暴走する。キョウコが起こしたという『暴発』は、なかなかに凄い規模だったよ。もしあり得ないほど低い確率ながら誓約ができていて、さらに召喚獣が呼べてしまっての仕業だとして、その召喚獣がその後逃げ出してしまったと仮定したなら、既に広い地域で被害が確認できるだろうと言えるほどにはね。だが、その痕跡は見つけられなかった」
「結構な範囲を調べたわよ? ゼラムからファナンへ向かう街道から、周辺の森は特に。だから言えるの。キョウコは何も喚んじゃいないってね」
「無色の派閥の生き残りは、まあ、多少は残っているかも知れないが……死体の数は結構なものだったと言っておこう。その中に、それなりに名の通っていた外道の召喚士がいたことも確認できている」
先輩達が説明してくれたことは召喚術の基本だ。私は、そんなことすら考えられないほど動揺していたのだろうか。
……違う。『もしかしたら』を潰せないほど、私の知識が足りていないのだ。そして、自分で責任を取る気概が。人の死を背負う覚悟が。
そしてあの時自分が抱いた殺意の鋭さを、とても軽視できなかった。
自分の自意識過剰さに縮こまっていると、リューグは納得してくれたのか、はあ、とため息がついたのが聞こえた。
「さて、キョウコ」
「は、はい……」
「今言った召喚術の話は当然キョウコも知っていることだ。確かにここまで詳しく話したことはなかったし、当時の君はまだ幼くて理解できないだろうと思って君が起こした事件についてはあまり言わなかった。しかし、今君が持っている知識なら導き出せたはずだよ。
私たちも師範も、忘れていいようなことは教えてないつもりだ。……自分がどれだけ混乱してたか、分かったかな?」
「はい……申し訳ないです」
「違うでしょ?」
「……ありがとうございます」
「よろしい」
ミモザ先輩は満足そうに笑うと、
「じゃ、あとは君たちでよおく話をするように。ね?」
言って、私たちの肩を順番に叩いて、皆を促して部屋を出て行った。
残されたのは私たち四人だけ。
「……ええと、」
気まずさに三人の顔が見れない。というか、三人から『なんと言えば良いのか』という気配を感じる気がして、私こそどういう風に振る舞えば良いか分からない。年長者らしからぬことだけれど、そういえば私が彼らの前で年長者らしい振る舞いをしたことなの一度も無かったのだから許して欲しい。
とはいえ、沈黙は長引くほど重くなるものだ。私はようやく落ち着いて話ができる良い機会だと気持ちを切り返すことにした。まずは、庇ってくれて、ずっと触れずにいてくれたリューグに対してだ。
「……リューグ、ごめんね」
「んだよ」
「一人で抱え込ませて、……黙ってて、苦しかったでしょ?」
「……別に、俺は」
「ありがとう」
「礼を言われるほどのことなんざしてねえよ。俺は、……そのときは、お前を」
「いいよ」
苦々しそうなリューグの表情が耐えきれなくて、その先を聞きたくない以上に言わせたくなくて、私は無理矢理それをさえぎった。ロッカにも言ってなかったことはさっきのやりとりで十分分かっていた。リューグは、一人で決めてしまったのだ。
「そんな風に考えさせて、ごめん。私、自分のことばっかりで、なんにもできなくて」
「……なにもできなかったのは、お前だけじゃねえだろ」
「だって、私、この為に今までずっと、……がんばって、きた、のに」
どうしようもない無力感はお互い様だ。私よりもずっと思い出深い場所を失ってしまった三人を前に泣いてしまうかも知れないと思ったけれど、杞憂だった。
もっと、強くならなければ。
もっと、強い力が必要だ。
「良いから、今は休めよ。ひでえ顔だぜ」
「そんな言い方はないだろう、リューグ」
ロッカが窘める。けれど、その声は柔らかい。
「キョウコは村に帰ってきて随分と助けてくれたのに、肝心なときに助けられなくてごめん」
「ううん……」
「キョウコこそ、僕たちを責めてもいいんだよ」
ロッカ達を責めたいなんて、思ったことはない。
首を横に振ると、ロッカは苦笑した。
「ロッカこそ、いい話じゃなかったのに、」
「いや、知らないままよりはずっといい。こんな事になってしまって、手放しで良かったというわけにはいかないけど……それでも、キョウコが苦しんでいるのを知らないままでいるよりはね」
「……ありがとう」
言うと、今度はロッカが首を振った。頼りないな、と彼がこぼすのを聞いて、思わずそんなことはないと返していた。ロッカは立派にやってくれている。私こそ頼りない有様で立つ瀬が無い。
と、私が目線を上げると同時に、アメルが動いた。一歩前に踏み出して、私の前までやってくる。
「アメル?」
名前を呼ぶと、黙ってぎゅっと、抱きしめられた。
さほど変わらない身長の彼女の髪から、肌から、優しい臭いがした。柔らかな感触に戸惑いながら、そっとアメルの身体に手を回す。
「ごめんね」
ほろりと、耳元でアメルの声がした。
ぐ、と、胸元から何かがせり上がってくる感覚があった。熱くて、なにか、息が詰まるほど、苦しささえ感じるほどの暖かさがこみ上げてくる。
「キョウコが、こんなに痛くて、淋しくて、苦しかったんだって……気づいてあげられなくて、ごめん」
「あ、待って、アメル? ねえ、」
熱い。いや、暖かい。今まで感じた事が無いほど、まるで――幼い頃、お父さんとお母さんと、一緒に布団で寝ていたような心地よさ。
喉が引きつる。言葉を出そうとすると、しゃくり上げてしまって、だめだった。熱いものが目元にまでやってきて。
「キョウコは汚くなんかないよ」
「――あ、あ」
言葉なんかじゃない。私の胸の中をこんなにも暖めて、包み込んでくれる感覚。これが……これが、アメルの聖女としての、力? こんな圧倒的な暖かさ、誰が抗えるというのだろう。
私が冷たく、固く、閉ざしていたものが溢れて行くような。それも、外からこじ開けられるようなものじゃない。内側から迸って、止められない。
それは、傷が熱を持って緩やかに治っていくのを、無理矢理短く癒やしてしまったような熱さだった。それなのに、どうしようもなく心地よくてずっと感じていたいとさえ思う。
言葉が出ない。アメルの名前を呼びたいのに、それさえもできないほど息が乱れて、涙が溢れて、胸が苦しくて、鼻が痛くて、どうしようもない。
ねえ、どうして? どうしてわかるの? アメルが『癒やす相手のことを受け止める』というのは、痛ましい怪我を目の当たりにすることではなくて……心ごとその腕の中に包んでしまうことだったの?
「キョウコのせいじゃないよ」
待って。そんなこと、して欲しいわけじゃない。誰にも持たせたくない。こんな重苦しくて、目を背けたいほど荒々しくて、卑しいもの。
そう思っているのに、だめだった。言葉なんて何の意味も無い。
私の心が暴かれたのを恥ずかしく思うよりもずっと、この気持ちを本当に分かってもらえた感覚が止めどなく溢れ続けてどうしようもなかった。私はアメルに抱きしめられながら、子どもみたいにわんわん泣いた。
それで私は分かってしまった。この世界に来てからずっと、誰かに心を開くことができなかったんだと。アグラバインさんにさえそうだったことを。
2020/07/12 : UP