Umlaut
糧と贄 - What was left - 01
ひとまず、村を目指すことになった。勿論、黒ずくめの連中に気をつけないといけないため、必要以上に時間をかけて、そして蛇行するようにして。
アグラバインさんが本当にゼラムを目指しているのであれば道中で出会うはずだ。相手の狙いの本命はアメル。彼女がいない以上村へ留まる理由はない。既にゼラムで襲撃を受けたということも、奴らはもう村にはいないだろうという推測を立てる根拠にもなった。生存者は私たち以外にはいない。
あの規模での襲撃だ。村には、おびただしいほどの人が滞在していた。それをきっちり殺しきったという点で、奴らがどれほどの脅威かなど考えるまでもない。たった二人で、数で押し切られたら直ぐに殺される。もしかしたら数がなくたって……。そうでないとしたらそれは、意図して生かされたと言うことだ。先輩達の家まで尾行されたように。
そう思うと、聖女狙いの奴らが本懐を遂げていないうちは生かされるのではないかという可能性も捨てきれない。だからアグラバインさんの安否を気にする方が先だという理屈は成り立つ。
本来、ゼラムからレルムまでの道のりはさほど長くない。傾斜があるし、道も舗装されていないから街道沿いを歩くよりは勿論、多少なりとも消耗はする。とはいえ、物騒な人間や獰猛なはぐれ召喚獣に出くわさなければたいしたことではない。
森の様子は恐ろしいほど変わっていなかった。細々とした山道は私が村へ帰るために辿ったときとさほど変化は感じられない。つまり、奴らは一般的な村への道を通らなかったことになる。ゼラムで一度準備を整えていたとしたら、これは有り得ない。
少数精鋭だったならまだしも、村一つを一晩で襲うならば数は多いはず。そんな大勢が、一体どこからやってきたのか。荒れた形跡のない森は不気味だった。
黙々と歩を進めていると、徐々に焦げ臭さが鼻をつき始めた。火を放たれたとはいえ、生木は生半可な火力では燃えない。流砂の谷が近くとも瑞々しい森は、さほど燃え広がることもなく鎮火したのだろう。消火してないのなら油断はできないけれど、直ぐにそんなことなど考えていられなくなった。
焼け広がった村の跡を前に、私たちの口は一層重くなった。
「……」
酷い有様だった。少し歩くだけで家々は炭になり、至る所に死体が横たわっている光景が目の前に突きつけられる。目を逸らしたくても、逸らした先も同じような状態だ。あの夜、火に炙られた範囲しか見えなかったが、外に飛び出してきた人達なのだろう。武器を抜いた状態で絶命しているのは、護衛や自警団。戦う術のなかっただろう人は、焼け落ちた家の中で。二階建ての家にいた人たちは恐らく炎に逃げ惑い、奇跡を願って飛び降りたところを殺されていた。避難したのだろう詰所でも、大勢の人が亡くなっていた。
涙が出た。悲しみじゃない。焦げた臭いが目に染みた。
リューグも黙ったまま歩いている。いつもより息が上がっているのは、そのまま感情の高ぶりの表れだ。
あの時黒ずくめの連中と対峙した場所に、アグラバインさんはいなかった。大きな両手斧も。そのことに一旦ほっとして、私たちは目配せをした。
どうする? と互いの視線には相手の出方を待つ様な仕草があって、お互いに考え込む。
「……森を探すのは意味がないわよね」
「そうだな。死んでりゃいつかは見つけられるだろうが……生きてるならジジイも動いてるだろ」
「取り敢えず、川の様子も見ておきましょう。もしかしたら人がいた形跡があるかも」
「その後に、一度家に行くか。あそこは村からはだいぶ離れた位置にあるから、もしかしたら無事かもしれねえ」
リューグの言葉に頷きながらも、私は内心でその可能性はかなり薄いように思った。あれだけ徹底的に村を潰した奴らが、少し離れているからといってアグラバインさんの家を見逃すだろうか?
慣れた道を歩き、川が変わらず澄んでいることを確認する。そこでアグラバインさんが休んでいると言うこともなく、私たちは家路を辿った。
「……え……」
私の疑問は、家が無事だったことで更に深まった。アグラバインさんの家は、一見して無事だったから。
そんなことが在るだろうかと確認すると、完全に無事だったわけではなく、やはり一部が焼け落ちていた。そこから家の中が見える。私は眉をひそめた。
「リューグ、流石にここは荒らされてなさ過ぎじゃない? やることが半端すぎるというか……」
「ああ。それに水場も『いつも通り』使ったように濡れてやがる……ジジイだといいがな」
明らかに人が住んでいるような形跡に、私たちはもう一度村へ戻ることにした。今度は先ほど通った道とは違うルートで、村の様子を一通り確認する。道中、村長とやりとりをした場所にかち合うことに気づいた。先行するリューグがそこを避けようとするのを引き留めて、敢えて向かう。見えてきたのは、あの夜と同じ場所で倒れている男の身体だった。
――死んでいる。
遠目からでも良くわかる。血の染みこんだ地面に身体が浸されていた。あれだけ刺さっていた矢はない。多分、ご丁寧にも回収したのだろう。……やはり、あの黒ずくめ達はただ者ではない。
明らかに死体だとはいえ、それが私の望みである可能性は否定しきれなかった。
万が一息があったらと思うと、確認せずにはいられない。
「おい、」
「大丈夫」
リューグを制して、私は横たわる遺体を調べた。脈と呼吸を確かめたけれど、あるはずもない。死体だ。リューグもそれを確かめたから間違いない。あれだけ矢で射られ、身体を貫かれて死んでないわけがない。矢じりに毒が塗られていたかもしれないし、万が一生きていたとしても失血死は免れない。
頭では分かっていても、感情が、まるで急き立てるようにして私の身体を動かしているみたいだった。結果、生きているかではなく、死んでいるかの確認になった感が払拭できない。でも、それでも私は息がもうないことを確認しきった。頭の中で何度も自分を納得させる。
もしこの人が生きていれば、リューグとともに身の潔白を説明できた。それは叶わず、この人は私を恨み、あるいは憎んだまま逝ってしまった。
説明したところで納得してもらえるとは限らない。召喚術の知識はそれだけ秘されている。彼には私の説明の中に嘘があったとして見抜けないだろうし、また私が全てを確かな証拠とともに『証明』することも不可能だ。
信頼が崩れ去った今となっては、恐らく理解してもらうことも絶望的だっただろう。
なんにせよ、もう全てが仮定の話だ。確かなのは、この人が死んだということだけ。
一瞥の後、私は村長の遺体から離れた。険しい顔をしているリューグの目線に気遣いを感じて、黙って軽く頷いた。
落ち着いているつもりではいる。けれどこの平静がなんの安堵によるものかは考えたくなかった。
アグラバインさんではなかったからか。それともあの人が確かに死んでいたからか。
艶やかなまでに艶っぽく炎にあおられ光ったあの剣の輝きは、きっとこの先何度も思い出して、私を苛むような気がした。
村の中を歩いて行くうちに、明らかに焼け落ちた後に人の手が入っていることに気づいた。真っ黒に焼け落ちた家を片付けるように、焦げた柱が並んでいる。
「これは……」
まさか、野盗じゃないだろう。ついこの間討伐があったと聞いたし、惨事の直後に近づくような輩ではないはず。そもそもそんな無法者はこんな丁寧な仕事はしまい。
「ジジイだろうな。生きてやがったか」
リューグの声色は安堵に満ちていた。とすると、疑問が残る。命の危険があるにもかかわらず、アメル達の後を追わずにこの村に留まった理由だ。
「近くにいるはずよね。行こう」
アグラバインさんがこうして村に手を入れているのなら、もしかしたら生存者もいるのかもしれない。あるいは、アグラバインさんも探しているのかも。
私の足は思ったよりも軽く動いてくれた。リューグと共に辺りを窺う。少しして、リューグに肩を叩かれた。
「見つけた?」
私の声に、リューグが顎で示してきた先に目を遣る。同じように焼け落ちた村の端。なだらかな坂の上にアグラバインさんはいた。
どちらともなく駆けだして、あちらも私たちに気づく。アグラバインさんはスコップを杖のようにしてその場に立ち、声が届く距離になるまでじっとこちらを見ていた。
「……よく生き延びたな」
「アグラバインさんも……!」
しみじみと、けれど間違いなく安心した様子のアグラバインさんに、私は殆ど無意識的に怪我がないかを確認していた。アグラバインさんの後ろに回り、怪我を庇ってないかを見る。
「キョウコは心配性じゃの」
「アグラバインさんが大丈夫そうに振る舞ってる可能性もありますから」
「なんと……わしはそんなに信用がないか」
「そうじゃないですけど」
アグラバインさんの声色も、顔色も、悪くない。かなり疲れている様子ではあるものの、五体満足、大きな怪我もなさそうで私は胸をなで下ろした。
「ジジイ、俺達はアメルのためにアンタが無事かどうか確認しに来た。……アンタは、ここでなにしてる」
「老いぼれがお前達と行っても足を引っ張るだけじゃ。じゃから……せめて、弔いをと思っての」
「ハッ、あいつら相手に対した怪我もないってのに、誰が誰の足を引っ張るってんだよ?」
「……」
リューグの言葉に、アグラバインさんは答えなかった。ただ目を閉じて、何度かゆっくりと頷いた。
「……わしは、お前達にも言ってこなかったことがある。それを話す時が来たということかの」
「それがアンタの強さに関わってるんだな」
「そうじゃ」
何かを感じているらしいリューグに、アグラバインさんが頷く。溜めのない返答は、アグラバインさんの心そのもののようだ。
「ほっほっほ……リューグ、お前は昔から察しが良いの」
「……」
一人ついて行けない私をおいて、話はついてしまった。リューグを見遣るアグラバインさんの目がどこまでも穏やかだったから、嫌な話じゃないはずなのに……でも、話の流れを考えるとまるであの襲撃にアグラバインさんの過去が関係しているように聞こえる。
アグラバインさんが強い理由……なんて、深く考えたことはなかった。そもそも私が村にいた頃に知る機会はなくて、私にとってアグラバインさんは木こりのおじいさんで、だから……アグラバインさんがどこからやってきて、何をしていた人かなんて、気にしたことも無かった。
私を守ってくれた。そのことの方が、私にとってはるかに重要なことだったから。
けれど少なくともリューグはそこに、何かがあると思ってるのか。
そういえば、エレナさんはアグラバインさんについてなんて言ってた? あの時は確か……
「おいキョウコ」
自分の思考に潜り込みそうになったのを止められる。ふと意識を戻すと、リューグが呆れた目で私を見ていた。
「ご、めん。なんだった?」
「アメル達をここに連れてくるにしたって、このままじゃ流石にまずい。あいつらなら人数的にもある程度持ちこたえるだろうし、召喚師があんだけいるなら多少やりあって戦力を削るくらいはするかもしれねえ。だから、俺達もジジイとある程度埋葬を進めちまおうぜ」
「あ、分かった」
「取り合えず今日の所はお前は家に戻って飯の支度をしといてくれ」
流れるような指示に、返事が遅れる。
「……私は、大丈夫よ?」
「馬鹿、そうじゃねえ。飯はテメエが用意する方が美味いんだよ。いいから行け」
しっし、と追い払われるようにして私はそこから離れた。何度か振り返って二人を確認したけれど、リューグはいつまでも私の方を見ていて、私が振り返る度にあしらうように手を振られた。
一人になると、急に五感が鋭敏になった気がした。木が燃える臭いとは異なる、動物の脂が火で熱されるような臭さ。色んな臭いが薄く残っていて、急に頭の中がすすけたように感じて気分が悪くなる。それでも嘔吐するほどではなくて、私はゆっくりと家へ戻ると、まず水瓶で口をすすぎ、顔を洗った。
変わらずに冷たく澄んでいる水が心地良い。少しだけその水で喉を潤すと、ぐちゃぐちゃになった頭の中もすっきりしてきた。
死体を見るのは初めてじゃない。なんなら、昔は自分が虐殺した立場だ。私が気分を悪くするのはお門違いだろう。それは分かっている。
だからこれは生理的な反応に過ぎない。そのことが寂しい。
私の心はレルム村に根付いていたんじゃない。アグラバインさんをよすがにして、そう思い込んでいたいだけだった。だから、私の中にある黒ずくめの連中へのこの怒りと憎しみは、アメルが一人の人間として大事にされないだろう事に対する……自分の過去と重ねた結果の義憤であって、正しく村に対するものではないのだろう。
あの男が火の手が上がる中私へ向けた殺意と憎悪が、素直に悲しむのを許さない。
あの男の言うとおり、私は自分のために他の誰かの命を奪うことを躊躇わない奴で、私のこの世界の出自は、火種になるのには充分だ。
――だったら、私を脅かす連中は全て根こそぎ刈りつくそう。そうできるように、強くならなくちゃ。
パン、と自分の頬を両手で挟むようにして叩く。私にはそれができるはずだ。だから、アメルが傷つくよりも先に、きっとそれをやり遂げよう。
一度拳を作った後、私はご飯の準備に取りかかった。
大丈夫。私はまだ、誰も失ってない。だから、大丈夫。
埋葬に区切りをつけて切り上げてきたアグラバインさんとリューグを迎えて、ぼそぼそとお互いの状況を話しながら食事は進んだ。アグラバインさんはアメルを追うために移動し始めた黒ずくめの連中を全員足止めできるはずもなく、数人を圧倒した後は指揮官だったのだろう黒い甲冑の号令で一気に逃げられてしまったのだという。
「……アグラバインさんがゲリラ戦をするならまだしも、アメルを優先したんですか?」
「わしはしがない木こりじゃ。こんな老いぼれに骨を折って戦力を削るより、目的を優先したんじゃろう。わし一人が村を出て余所で声を上げたところで、問題ないという判断じゃな。隠れてこそこそとやってきた連中じゃ。帰るにしても表を歩けるようなもんじゃあるまいに」
アグラバインさんの影響力はゼロだろうから問題にはならないと思ったってことか。そして、アグラバインさんを戦闘不能にまで持ち込むのも消耗が激しいと判断した。
……明らかに訓練された団体の指揮官にそこまで高く見積もられるほど、アグラバインさんが強いと言うことになる。確かに、リューグが気にするのも頷けた。ただ、リューグは今それを追求するつもりはないらしく、アグラバインさんの話を聞きながらも掘り下げることはなかった。
アグラバインさんはどんな気持ちで夜を明かしただろう。黙々と一人埋葬し続けて、一体何を考えていただろう。
食事の後は日暮れと共に眠ることになった。燃料に余裕があるわけもなく、皆疲れていた。
ただ、私は肉体労働から外されたからだろうか、目が冴えてしまって寝付くことができないでいた。道中での緊張は間違いなくあって、確かに疲れているはずなのにどうしても眠れなくて、少し水を飲もうとベッドを抜け出した。
「……リューグ」
「ん?」
毛布にくるまって炊事場へ向かうと、側のダイニングテーブルに肘をつきながら、武器を傍らに置いて座っているリューグがいた。かまどの一つには小さく火が残っている。夜は冷え込むから、火の番をしてくれていたのだろうか。
「ごめん、用事とかじゃなくて、呼んだだけ」
「眠れねえのか。……ま、そりゃそうだよな」
「リューグは?」
「寝ずの番ってほどでもねえが……いっそテメエがやりてえようにしたほうがすっとするかと思ってよ」
成る程。なにかせずにはいられない、と言うところだろうか。
「寒くない?」
「まあな。慣れてる」
「答えになってなくない……? 毛布、要る?」
「俺はいいから、お前が被っとけよ」
押し問答になるのも馬鹿馬鹿しくて、そんな気力も体力もなくて、私はコップに水を入れた。口をつけて少しずつ飲む。冷えた飲み物は身体には良くないけれど、今は身体の中に染みていく冷たさが心地良い。
「気が済んだんなら、早いとこ戻って寝な」
「寝られないからこっちに来たんだけど」
「それでも、横になって目瞑ってりゃ身体は楽になんだろ」
その言葉をそっくりそのままリューグに返したい。その気持ちを飲み込んで、私はリューグの声かけに頷いた。……このところ見なかった素直な気遣いをありがたく受け止める。
「……でもやっぱり眠れなかったら、起きてきても良い?」
「はっ、俺がそれまで起きてるかわからねえがな。テメエもやりてえようにやりな……結局、それがマシなんだろうさ」
それもそうだ。私は小さく頷いて、部屋に戻った。あの夜と変わらない部屋はどこか殺風景でよそよそしく、いつまでも戻らないアメルを寂しがっているように感じた。ベッドは冷たくて、慣れているはずなのに涙が零れた。
目的のために多くのものを傷つけてもいいと思っているくせに、二の足を踏んでいる自分の覚悟の足りなさが情けなかった。
2024/01/29 : UP