恋糸結び
(3)
一線から退き、時の政府の膝元で働く元審神者には、現役時代の本丸をそのまま宿舎として使うことが認められている。特別な戦闘任務などのない場合は資源の支給などは止められるが、万が一戦闘が発生した際は手入れ費用などは全てまかなわれる手筈になっており、資源繰りで困窮することのないように配慮されている。審神者が自らの意思で戦線を離れる時、選択肢はいくつかある。ある薬研藤四郎の主人は、次世代の育成に尽力することを決め、全ての刀剣男士はそれに従った。十年以上前のことだった。
「薬研」
「お、大将。おつかれさん」
「あなたこそ」
審神者の育成はいつになっても行われている。この戦争に対抗する仕組みが整った当初は管狐のナビのみで審神者を本丸へと丸投げしていた時代もあったが、仕組みだけで勝てるなら今の体制は敷かれていない。審神者になるための研修は、基本的に肉体、精神、環境への適正を見るために行われていると言ってもいい。審神者の資質があるというならばそれは、審神者として過ごす生活に慣れることができるかどうかにつきた。
今、梅鼠の薬研藤四郎は何度目になるか分からない研修生の教育にあたっている。戦の「い」の字も知らぬ彼らを任されることになるとは思わなかったが、今のところ不満はない。
「ははっ 老後の楽しみは土いじりかとばかり思ってたが、こういうのも悪くないな」
「それは良かったわ」
慣れた本丸の縁側に座る薬研藤四郎の隣、梅鼠がおもむろに腰掛けた。抱えていた風呂敷を脇に置く。
「それで、あの子にはいつ告白するの?」
動作に反し唐突に投げられた問いに、薬研藤四郎は思わず目を眇めた。『あの子』を指すのがさてどの子なのか、告白とはどういった告白なのか、と茶化すのは簡単だが、この主ははぐらかされてくれるほど単純ではないし、そもそも話を切り出した時点で煙に巻くことも逃げることも許さないだろうと分かってしまう。
「さてなあ」
いつ。
いつ告白すれば良いのか、それは薬研藤四郎の方が知りたかった。まるで世間話のように切り出せれば良かった。いつも叶わなかった。言って終われるほど簡単ではないと、はじめから知っていたから。
「ならば、あの子の刀として側にいますか? あなたがまた戦う日々を過ごすことについては、私は吝かではないのだけど」
「そうさなあ。けど、俺の大将は一人だけだからな」
「ふふ。光栄ね」
果たしてあの子の刀になりたいのだろうか、という疑問は常に抱えてきた。それでも薬研藤四郎を顕現しここまで育てた主は一人だけで、忠誠を抱いているのも一人だけだ。
「では、あの子の元へ行けるはずの『薬研藤四郎』の邪魔をするのはお止しなさいな」
梅鼠の言葉に、薬研藤四郎は目を見開いた。
「――……。知ってたのか……ってのは、今更だな」
「そうですとも」
「すまん。迷惑掛けてたな」
「特殊な環境ですから。自分の部下に気を配るのも勤めのうちです。……安心なさい。古今東西、こういうことに第三者が首を突っ込むのは無粋というものです」
「かなわんなあ」
で、あれば。
梅鼠がついに口を出してきたと言うことは、潮時なのだろう。さて、気づいてからどれほど経ったのか。人の子には少なくない時間だと、頭では分かっていた。
最初は間違いなく相手からの好意だった。彼女の中で『薬研藤四郎』は己になってしまったのだろう。だから、他の――概念としての薬研藤四郎と言うべきだろうか、それと縁が繋がりにくかった。そういうケースは、実は少なくない。薬研藤四郎のような、発足直後でも本丸へやって来やすい刀剣男士相手で、となると数は激減するが。大抵は自分の本丸へやってきた、目の前の個体へと意識を移していくからだ。もしなかなか巡り会えなかったとしても、自分の顕現していない、既に主を持つ個体の刀剣男士に対して懸想するのは珍しいことと言える。
物珍しさは間違いなくあった。それがいつまでも続くとなればどうにも面映ゆく、身の丈に余ると思い始めるまでは早かった。相手の気持ちそのものは困らなかった。そういうものを含んだあらゆる種類の感情が、薬研藤四郎を付喪神たらしめているからだ。
困ったのは、ゆっくりと育まれていく自分の中に芽生えた気持ちの方だった。相手の心にもあるその芽を摘み取ることはしたくない。枯れてほしくもない。手放してほしくない。手放したくない。
しかし、真実結ばれようという気は無かった。いつかはその気持ちも終わるだろうと思っていたのは間違いないが、そうして構えていた結果、自分の方が恋慕に足をすくわれるのは想定外だった。その思いが一層、彼女の元へ薬研藤四郎が顕現することを阻んでいた。ともすれば、今はこちらの想いの方が強いために縁が無いのかもしれない。いや、縁ならばすでにあるのだ。唯一無二になってしまっているだけで。
「でも、いつまでもそれでは彼女がかわいそうだわ」
「……む」
薬研藤四郎の思考はある程度筒抜けなのだろう。返す言葉もなく、窮する。
「告白だけでもしてしまいなさいな。自ずと、あなたが今までしてきたことも話さなくてはいけないでしょうけど」
「しかし……」
白状する以上、薬研藤四郎は一向に現れない彼女の一振りとして譲渡されるか、己が握りしめている縁を手放さなくてはいけない。後者ができないのであれば、前者の形で責任を取るべきで。
けれどそれは、彼女の好いた薬研藤四郎ではなくなるということでもあった。
審神者と共に長く過ごした刀剣男士達は皆、審神者に影響されて少しずつ見た目に変化を伴うようになる。表情、仕草、考え方もそうだが、身長や体型もそうなのだ。主との繋がりを通じて、個別のものへ成ってゆく。
薬研藤四郎が梅鼠に顕現されてから、既に長い月日が経っている。この自分こそ好いてくれているのなら、いや、だからこそ彼女は想いを告げてこないのかもしれない。結ばれた二人が一緒になるという行く末は容易に想像できる。それを是としないから、こんなにも長い間、なんの誘いもないのではないか。
この二人の現状こそが答えだとしたら。告白だけで済まないことは明白だ。そして、二人の思いが相容れないものだと突きつけられることになる。
――そんなことは梅鼠にはお見通しなのだろう。そうでしょうとも、と言わんばかりに鷹揚に頷き、薬研藤四郎の主は続けた。
「あなたが言わないのであれば、私から彼女へ説明します」
「はっ?! いや、しかし大将それは、」
薬研藤四郎が待ってくれと言うより先に、梅鼠は手のひらを向けて言葉を制した。
「せめてあなたがしていることくらいは教えて差し上げなければ、同じ審神者として、彼女の先達として示しがつきません。それに戦況が私たちにとって良いものでない以上、あってしかるべき戦力が欠けているのは問題です。特にあなたは短刀なのです。今際の際に侍っていても、寝所にいてもおかしくはない懐刀になり得る。ここぞというとき、彼女の尊厳を守れるかもしれないのですよ」
「それは……そうだが」
「無論、わたしから彼女へ伝えるのであれば、あなたにはけじめが必要です」
己で始末をつけられない以上、それは当然だと薬研藤四郎は思った。正論を突きつけられてしまえば、その通りだと言うことしかできない。人の身体を得て己の手足で動き、口で伝えることができるようになったのだ。告白するというのであれば、自分でやるのが筋だと言うことも。
で、あれば、薬研藤四郎は己自身で片をつけなくてはならなかった。主が出てくるとなれば尚のこと。そんな風に面倒を掛けたいわけではない。
しかし伝えるにも時を逸し、薬研藤四郎はひとまず梅鼠の言葉に頷いた。そして、梅鼠が続ける。
「なにもかも自分ではできないというのなら、あなたは刀解します」
共に駆け抜けた数多の日々。失敗したことなど数知れない。それでも、その中で一度も聞くことのなかった処遇に束の間、薬研藤四郎の息が止まった。
「た、いしょう、」
「当然です。あれもだめ、これもいや……あなた、そんなわがままになってそれでもあの子へ思いの丈一つも言えないなんて、情けないったらありません。彼女の心を放さないくせに、あの子の元に別の自分がいくのも嫌だなんて、いつまでも本命の子にあぐらをかいているのにその子が心移りするのは許さないような男みたいなものです」
「……嫌に現実的な例を出すな」
「これ。話の途中です。……人間でもたまらないのに、その上刀剣男士では……あなたに恋をした子の時間は、戻らないのですよ。そうこうしている間に、その人生も終わってしまいます」
そうなるなら、それも悪くない。頭の端に滲むようにして浮かんだそれを、薬研藤四郎はおくびにも出さなかった。
「それもいいな、という顔をしない。もっとも、私がさせませんけど」
梅鼠ににべもなく見透かされ、深く、ため息を一つ。
「……たーいしょ、俺は何も言ってないだろ」
「そういうことを感じているような間がありました」
ぴしゃりと即答する梅鼠には、長い間命を預けてきた信頼があった。数多の刀剣男士を率い、第一線で指揮を執ってきたのだ。己の持つ刀が何を思っているのか、よく見て、よく話を聞き、よく言葉を交わした。それは今でも変わらないらしい。
参った、と、薬研藤四郎は白旗を揚げた。
「大将に嘘をつくつもりはないが……ここまでばれてちゃ世話ないな……そんなにわかりやすいか?」
「分かるほどあの子に執着しているということです。薬研、気づきませんか」
「え?」
「あなたに二心があるなんて、私は思ってませんよ。それはあなたもそうでしょう。あなたのそれは、恋心。忠誠ではないのだから、彼女の刀になることで貴方の外見や振る舞いに多少変化が及ぶことを差し引いても、あの子の刀になることに躊躇いがあって当然です。そしてあなたがあそこへ行かないというのなら、別の薬研藤四郎が来るのが道理。ヤキモチの一つもやくというものです」
「……」
「人間は欲張りですが……私はね、あなたがそうやって業突く張りになるのは悪くないことだと思います。でもそれは、せめてあの子ときちんとした形で心を通わせてからにしなさい。あなたが憎からず彼女のことを想っていること……私は知っていますが、あの子は知らないのでしょう? それでは、ただの独りよがりでしかないわ。あなたの持ち主として、看過できません」
姿勢を崩さずにまっすぐに見つめてくる二つの瞳を、薬研藤四郎は神妙な面持ちで聞いていた。家族と離れて過ごす主が、刀剣男士を家族のように情を持って接していたことを知っている。息子のように、生徒のように。
そしてそれは今もそうなのだ。人の身体を持った刀剣男士という生き物を、人の道理でもって、人と関わらせようとしている。
そうして薬研藤四郎は、己がいただくその人の導きは、これで最後なのだと感じた。
「薬研藤四郎。私は遠くない日にこの職を辞そうと思っています。寿命はまだだと思ってますけど、元気なままある日ふっつりと死ぬわけではありませんからね」
「……大将はいつもそうだな。でかい決断を静かに決めちまう。ああ、悪いって言ってるんじゃないんだ。不満があるわけでもない」
「分かっていますよ。あなたたちがどれだけ口が達者でも、決めるのは私です。その仕事だけは譲りたくなかったの」
「全く、見上げた根性だ。天晴れだぜ」
「ふふ」
穏やかに笑う梅鼠に憂いは見えない。もしあるとすれば、今こうして交わしている内容だけなのだろう。少なくとも、薬研藤四郎については。
まさか己が主の心残りになってしまうとはと、薬研藤四郎はため息をついた。恐らく薬研藤四郎という刀が主の手を焼かせることはあまりないだろう。戦の時代にきらめくように名が記され、その終わりと共に消える。そういう在り方をよしとしたからだ。戦いの後に残されることを望まない。自分もまた、そうとしか有れない。恐らくそれは、彼女の刀になったとしても。
「……私がどうして今、あなたに声を掛けたかわかりますか? ちなみに、私の寿命や、辞職する心づもりだと言うことは、あまり関係ありません」
「ん、」
痺れを切らしたか、梅鼠の中でなにかしらの一つの区切りを終えたか。己のしていることが彼女の魂を害するほどの悪影響を及ぼしているとは思えない。薬研藤四郎は少し考えたが、そこから答えが出てくるよりも先に、梅鼠が風呂敷を広げた。
「これを」
その中には、いくつかの品物が丁寧にしまわれていた。
「大将、こいつは」
それは、政府の元で次世代の教育に携わっておきながら、知らないでは済まされないものだった。
「そうですね。修行道具一式です。あなたたちの力をもう一回り大きくする技術。ようやく運用レベルにまで達しましたよね」
「なんでこれを……」
「どうしてだと思いますか?」
「……」
「薬研、あなたの心にあの子が住むように、あなた自身どうしたって変化は否応なしに訪れます。不安も恐れもあることでしょう。……今は時代の流れで家の繋がりのために気持ちを諦めなくてはいけないようなことは殆ど無くなりました。言い換えればそれは、諦めるにしても、自分でどうにかしなくてはいけないということなの」
尻拭いをする心づもりはあるが、梅鼠はやはり薬研藤四郎自身で決めることを望んでいた。そしてそれは、命令ではない。
「あの子の刀になっても、ならなくても。これはあなたが刀解を望まないのならばまだ必要でしょう。そして、あなたは否応なしに変わらねばなりません」
刀解を望まない。それは、薬研藤四郎がどんな形であっても、彼女のために生きると決めたということでもある。
「私にできる限りの準備はしました。自分で選びなさい。けじめをつける方法を」
どうしますか、と問われた薬研藤四郎の答えは、もう決まっていた。
「これだけ逃げ場を塞がれちゃ、観念するしかねえなあ」
「よかったわ。あの子にはもうアポも取ってあったのよ。今日の18時から」
「おいおい、もうすぐじゃねえか!」
思わず大声になりながらそう返すと、梅鼠はいたずらが成功した子どものように声を上げて笑った。人が悪い、と薬研藤四郎が苦々しく続けても、どこ吹く風だ。
「行きますか」
「ああ」
「わかりました。では、これもあなたに預けておきましょう」
風呂敷の一番下から追加で差し出されたものを見て、薬研藤四郎は目を丸くした。何度もその美しく淡い藤色の瞳が、梅鼠の手元と顔を行き来する。
「なにが言いたいのか、分かるでしょう?」
そうして向けられたてらいの無い笑みに、参ったと呟きながら顔を覆い。
「決めてくるよ。二人でな」
主の差し出していたものを、そっと受け取った。
2020.02.28 pixiv同時掲載