恋糸結び
(4)
約束は18時。研修生時代にお世話になった梅鼠(うめねず)さん――つまり私が想っている『薬研藤四郎』の主その人だ――から連絡があったのは少し前のことだ。梅鼠さんは審神者として勤めていただけあって、あれこれとこちらの予定に合わせてくださり、今日に至る。話の内容は薬研藤四郎に関することで、ということだったので、私の本丸に未だ薬研藤四郎が現れないことについてのお話なのだろうと思う。……まさかあの人の薬研藤四郎という個体についての話じゃないだろう。薬研藤四郎は今でも親しく声を掛けて貰ってお話をする仲ではあるけれど、梅鼠さんとお話する機会は殆どなかった。だから、薬研藤四郎が未だに本丸にいないことは薬研藤四郎伝いに知っていても、私の気持ちはきっとご存じないはずだ。
言うなれば大先輩がわざわざ来てくださると言うことで、連絡を受けて日取りを決めた日から、私の本丸はもてなしの準備で少し賑やかだ。
掃除もしたし、身なりも整えたし、もしかしたらと言うこともあって夕飯もいつもより豪華に。歌仙兼定が張り切って茶器と茶菓子を揃え、鶯丸が茶を煎れる。手筈もばっちり。
予定の時間が近くなり、そわそわとする私を見かねて、前田から玄関口でお待ちしましょうかと提案してくれるのに甘え、陸奥守と共に待っていると、来客を知らせにこんのすけが走ってきた。
「審神者さま、梅鼠さまがいらっしゃいました」
「ありがとう。門を開けて」
「はい!」
指示しながら、門へ向かう。本来であれば客間に通した後私が出るべきなのだろうが、どうにも堅苦しすぎて無理だった。だって、門を開ける許可を出すのは私だ。誰かが来たらいの一番に私に報せが来るのだから。
こんのすけが開けた門からゆっくりと入って来たのは、背筋をピンと伸ばし、髪を結って、着物に身を包んだ年配の女性――梅鼠その人だった。その後ろには、薬研藤四郎が控えている。
「ようこそいらっしゃいました」
「いいえ、こちらこそ急なことで申し訳ないわ」
「とんでもない! さ、中へどうぞ」
「ありがとう」
挨拶もそこそこに、中へ案内する。陸奥守が梅鼠さんにつき、連れ立って玄関をくぐった。入って直ぐに、待機していた前田がお茶と茶菓子の用意をしに行く。
「立派な本丸ね」
「ありがとうございます」
本丸は広い。生活空間は奥で、外部からの訪問者とかち合うことはないから他の刀剣男士の姿はないけれど、やはり審神者歴が長かった人だと言うこともあって、一言もらえるのは嬉しい。
「どうぞこちらへ」
「ありがとう」
用意された客間に通すと、梅鼠さんは少しだけ物言いたげに私を見た。
「どうかされましたか?」
「……今日、あなたにお話をしたいと言っていたことなのだけど……」
部屋に入る前ということもあってか、少し言いにくそうにした後、梅鼠さんは自分の薬研藤四郎を振り返った。……いつもなら優しく穏やかな表情の彼は、今日は静かで、少しの笑みも浮かんでいない。
「私の薬研藤四郎が、直接あなたに伝えたいと。……私は席を外して待っていたいのだけど、いいかしら? 勿論、あなたは近侍と一緒で大丈夫だから」
「は、あ……それは、かまいませんが……」
――なんの話だろう?
疑問は多分、薬研藤四郎が答えてくれるのだろう。梅鼠さんはほっとしたように表情を緩めた。
「よかった」
「……ほいたら、その間わしが梅鼠さんの相手を務めさせてもろうてもえいですか?」
「まあ、光栄だわ」
話を聞いていた陸奥守が目配せをする。任せろ。小さく頷かれて、私はそのまま陸奥守に梅鼠さんを預けることにした。丁度前田がお盆を持って合流したのもあって、私の分と薬研藤四郎の分を客間の机に置いて貰った後は、梅鼠さんの分が残るお盆を陸奥守に渡して、私たちについて貰うことにした。……といっても、襖を隔てた廊下におります、と言われてしまい、少し距離はあるのだが。
それでも思いがけず二人きりになってしまい、私は言葉に窮した。どうすればいいのだろう、というのが正直なところだ。相手は好きな人ではあるものの、彼が直接私にしたい話など数が限られている。
「あの、……お話というのを、うかがってもいいですか?」
ドキドキしながら訪ねると、薬研藤四郎はじっとまっすぐに私を見た。笑みのない顔は珍しい。研修の際、戦争に対する心構えを説いていた時と、命に関わるような事例に対し対策や対処法などを語った時、あとは手合わせの時くらいじゃないだろうか。それだって私だけに向けられた顔ではなかった。
こうも真剣な表情で見つめられると、妙に胸が騒いでいけない。
自分を落ち着かせることに必死だった私は、薬研藤四郎がすっくと立ち上がり、少し身を引いたかと思うと、
「……今まで、悪かった」
座り直し深々と頭を下げる一連の動作を、ただ見ているしかできなかった。
「えっ、いや、ちょっと待ってください。いきなりどうしたんですか……?!」
腰を浮かせると、彼はしばらくそのままの……土下座をしたまま動いてくれなくて、私は慌てたままとにかく頭を上げて座ってくれと言うしかできなかった。
「事情も聞かずに謝罪だけなんて受け取れませんよ……! 梅鼠さんのおっしゃっていたお話って、なんなんですか?」
何も知らされないままの開口一番の謝罪は正直ものすごく心臓に悪い。しかも時の政府のお膝元で働いている相手からの謝罪だ。まるでこれから悪いことが起こりますよと言われているようで不安になる。
言葉を重ねてどうにか頭を上げてもらって、座布団に座り直してもらい、お茶を勧める。薬研藤四郎は一口飲んで浅く息をつくと、再びまっすぐに私を見た。
「あんたの気持ちを知りながら、今まで何も言わなかったことさ」
「え……」
「俺も、好きだ。あんたの気持ちはずっと嬉しく思ってた」
ゆっくりとつまびらかにされていくような感覚に、胸が跳ねた。
「あんたが俺のことを憎からず想ってたのを、知ってた。それを、あんたも感じてただろう。……それに甘えて、あんたが俺を見てあからさまに嬉しそうにするのが可愛くて、黙ってた」
「え、えっ」
「……それで、俺も欲が出てなあ。あんたと『薬研藤四郎』の縁を、全部握りこんじまった」
新しい事実がぽんぽん出てくる。情報量の多さについていくことがやっとだ。
この、目の前にいる彼が、私を……好き、だと。そう言った。好きって、そういう意味で? だよね?
「審神者になったあんたから初めて俺が来ないって相談を受けたときは、そうじゃなかったんだ。でも、俺が本来あんたのところに行けたはずの薬研藤四郎との縁を邪魔するようになってからも、それを言わなかった。いくらでも機会はあったのにな」
「……」
謝罪というのは、こっちのことか。……それとも、私の気持ちには応えられないと言うことだろうか。
「許してくれとは言わん。俺の下心で、あんたには随分迷惑をかけた」
言って、彼がもう一度その場で頭を下げる。下心、というからには、悪戯ではないんだろう。
――なんだ、私、想われてたのか。
「……あの、……。わ、たし、ずっとあなたのことが好きでした。今も、好きです」
いつまでも頭を上げてくれない彼のつむじに向かって、そっと言葉を投げかける。ふわ、と淡い色の花弁が見えた気がした。
「それで……ずっと、告白できなくて。しようとも思わなくて。なんでだろうって。多分、最初からきっと振られるって思ってたからなんです。私なんて、たくさんいる研修生で、審神者で……きっとあなたからすれば、大勢いる人間の一人でしかなくて……それ以上になれるような距離感でもなくて……。でも、それって」
言葉に詰まる。胸がいっぱいで、息が上がりそうになる。でも彼は言ってくれた。私のことを、好きだと。それがどんな意味でも、舞い上がるには十分だ。
「それでも、あなたに振られたくなかった。可能性を本当にゼロにしてしまうのが嫌で、怖かったからだったんだって、気づいたんです。わたし、あなたと」
はっきりと、彼の肩に桜の花弁が見える。嬉しいのに、どうしてだか泣きそうだ。
「恋人になりたいんだって」
結ばれたかった。見た目が釣り合わなくても、中身が、彼と釣り合うくらい立派じゃなくても。諦められなかった。そうしたくなかった。少しでも可能性を放したくなかった。だから、告白しなかったのだ。
「……あんまり、俺を喜ばせるようなことばっかり言わんでくれや」
声を震わせながら顔を覆う薬研藤四郎の耳は綺麗に赤く染まっていた。俯いていて表情はよく見えないけれど、怒っているわけでないことは分かる。
これ以上どう声を掛けて良いのか分からずにいると、目の前の彼は盛大にため息をついた。
「全く、詫びに来たってのに、これじゃ詫びにならん」
まだほんのりと頬を染めながら、彼は乱雑に頭をかいた。そして手櫛で軽く整えた後、私を見て、珍しく惑うように目線をそらして。
「……今日の話ってのはこの白状と、あんたと俺で、今後についてどうするか決めようってことでな」
「今後、ですか」
まだひらひらと花弁を舞わせている様子を見るに、どうやら私の気持ちは報われるということでいいらしい。……いけない、頭がよく働いてない気がする。変な顔をしてないだろうか。
「ああ。……今日は、こいつを持ってきたんだが」
「これは……」
「『俺』じゃないが、薬研藤四郎だ」
頬を抑えていると、彼がおもむろに一振りの短刀を机に置いた。ごと、と小さくも少し重い音がする。焦がれた姿をしたその短刀を前に、彼は切り出した。
「大将から、あんたの刀になるか、と言われてな」
「!」
「先に言っとくが、俺の気持ちとかあんたの気持ちとかは関係ない話さ。単純に、そろそろ大将が職を辞するって言うんで、自分の刀を貰ってくれる奴を探してるんだと。勿論、俺たちの意見は尊重してくれるらしくてな。刀解希望の連中は刀解すると聞いてる」
「それで……薬研藤四郎の譲渡先の候補に、私が選ばれたと」
「ああ」
「……では、このもう一振りの薬研藤四郎はどういう……?」
「それなんだが」
彼が私の本丸へ来る。大手を振って一緒にいられる。それは、願ってもないことだ。梅鼠さんの退職は寂しいけれど、この職を辞めると言うことは、刀剣男士は手放さなくてはいけないということで。
彼と会えなくなるのは嫌だった。主ではなくても、励起できなくても、その依り代を預かりたいと思うくらいには。
「……その、俺はずっと、あんたが俺に何も言わないのは……【梅鼠】の薬研藤四郎を好きになったからだと思っててな。審神者と惚れた腫れたをやる連中は大体一緒になってるってのが通例だったし、それでいくと……俺があんたの刀になると、当然【梅鼠】の薬研藤四郎じゃなくなっちまう。俺の方も、大将がいる限りはあんたを主(そう)とは見れん。だから……もし俺があんたの刀になれなかったときは、こいつをあんたに渡そうって話になってな」
話を聞いて、私は目を見開いた。彼がそこまで考えてくれていたなんて当然知らなかったし、そのことで悩ませていたらしいことに嬉しさと心苦しさを覚える。
胸が、いっぱいで。
もっと言葉を交わしたいのに、上手くできないのがもどかしかった。
「確かに、私にとっての薬研藤四郎は、ずっとあなたです。好きになったのも、【梅鼠】の薬研藤四郎で間違いない。……でも、だからと言って、あなたがどこへ譲渡されても、それが無かったことになるわけではないでしょう?」
「……ああ、そうだ」
「ですが……ありがとうございます。そこまで考えていてもらって、すごく……嬉しいです」
想っている人に、想われること。想われているんだって、知ること。それがこんなに胸を満たす。
「受け入れ先に選んでいただいたこと、とても光栄です。あなたをこの本丸に迎えられるなら、これほど嬉しいことはありません」
薄紫の目の色が、どこか和らぐ。彼の目元が少し赤みを帯びている。そんなことを感じながら、彼を見て、告げる。
「……あなたは、私の薬研藤四郎になってくださるのですか?」
まるでプロポーズみたいだ、と、言ってから思った。気恥ずかしいような、それ以上に幸せなような。でも、私と梅鼠さんだけではなくて、彼がどうしたいのかも欠けてはいけない。彼女が薬研藤四郎の口から直接話をすると言ったのだから、彼の意思を尊重するつもりなのだろうことは間違いない。
焦がれた刀は私を見て、眉尻を下げて笑った。
「どうせ変わるなら、どこに貰われようが一緒だ。だったら、あんたのところで、あんたに染めてもらいたい」
初めて見る彼のむず痒そうな顔の向こうで、花弁が一つ舞って、消えた。
2020.02.28 pixiv同時掲載