心恋相語れり

(3)

 風呂は気持ちがいい。流石に男の身体を持つ刀剣男士と同じとは行かないので、私が入るときは一人だけだ。近侍を脱衣所の外に控えさせているが、就任当初はまあ落ち着かなかった。それも、そんなこともあったなと思うほど、今は慣れたものだ。
 大倶利伽羅にも、慣れるだろうか。
 せめて業務連絡くらい気兼ねなく行えるほどにはなりたいと、自分の心の都合だけでそう思うのは、図々しいだろうか。
「平野、お待たせ」
「いいえ。お湯加減はいかがでしたか?」
「丁度良かったわ。ありがとう」
「勿体ないお言葉です。お食事はどうなさいますか?」
「今日は部屋でいただくわ。書類仕事がまだだから少し手をつけたいの」
「ではお部屋へお持ちしますね。明日は日曜日ですが、朝餉の支度にご希望などは」
「……。軽めで。10時に起きてこなかったら起こして」
「はい、かしこまりました」
 本丸の仕事は、原則五日間出陣や遠征の振り分けをして、必要であれば手入れと刀装の整備、書類関係の雑務を行って、一日は五日間でフォローできなかった部分や刀剣男士達との仕事抜きの交流にあてている。残った一日は、おやすみだ。内番は持ち回りなので日曜日も行うが、各自息抜きの時間を持つようには指導している。
 今までの習慣と、婚約者だった彼に合わせて日曜日に休みを割り当てていたが、そういえばもうそれも考えなくていいのかと思うと、やはり寂しさを感じた。一ヶ月も経ってからそう思うことも含めてもの悲しい気持ちになる。といっても、気づかなかったのは、日曜日になると身内などから婚約破棄の後処理に関する連絡がまとめて入ってくるからというのもある。弊本丸のこんのすけは有能だった。
「あ、そうだ! 平野、」
「はい?」
「……あー、その、食事が終わってからでいいから、大倶利伽羅に部屋に来るようにと伝えてほしいんだけど、頼んでもいいかしら? 大倶利伽羅になにか予定があるなら、無理にとは言わないし日を改めるから」
 部屋につき、下がろうとする平野を呼び止める。行動するなら早いほうがいいだろうと自分のくじけそうな心を叱咤して平野に託すと、快い返事で請け負ってもらえることになった。
 こうして人に頼む時点でだめなのだとは思っても、自分から伝えたらきっと引き下がってしまいそうだった。多分大倶利伽羅から部屋へ来てくれない限り、私は頑張れない。私から声を掛けたら、大倶利伽羅の出方に怖じ気づいて、引き留めてごめんね何でもないなんて、すぐに自分から引き下がってしまうのが目に見えている。
 でも、これで逃げ場はなくなった。
 このままではいけないと思っていることは間違いない。大倶利伽羅という刀を私自身で感じなくては。


「来たぞ」
「うひゃ」
 変な声が出た。足音は聞こえていたが、まさか大倶利伽羅とは……いや、でも確かに足音は耳慣れないものだった。
「どうぞ、入って」
 促すと、静かにふすまを開けて大倶利伽羅が入ってきた。畑仕事を終えた上に寝る前ということもあって、寝間着として支給している温泉浴衣を着ている。本丸の時間帯的に珍しくはないものの、大倶利伽羅がそんな格好をしているのは初めて見たから驚いてしまった。
「……なんだその顔は」
 差し出した座布団に腰を下ろし、大倶利伽羅は目を眇めて私に抗議の意を示した。声は低く、う、と言葉に詰まる。彼なりに本丸に慣れているようで少し嬉しかったけれど、やはり会話をするとなると簡単にはいかない。
「あ、いえ、……大倶利伽羅が楽にしてくれているから、ほっとしたの」
 それ以上の他意はないと弁明すると、彼は鼻を鳴らして目をそらした。
「生憎、着られる服となると戦装束かこのくらいしかなったものでね」
 むっすりとした口元からこぼれる言葉は丁寧だった。……確かに、大倶利伽羅は穏やかだ。言葉もゆっくりだし、はきはきとしゃべる風ではないけれど、聞き取れないような話し方はしない。
 ただ、態度は別だ。正座でないのは構わないが、彼の身体は私の方を決して向かないし、顔もそう。目だけが時折こちらを見遣って、それが酷く心を荒らしてくる。
「それで。話というのは……あんたが七日に一度やっている、馴れ合いのことか」
 無駄話をするつもりはないらしい。まあ、それは刀剣男士によって様々だから、別に構わない。
 ……そうだ、こうやって、一つずつ……心で切り離せないことと、理屈でねじ伏せることを繰り返して、私自身も整理をしなくては。
「あなたにはそう見えるかもしれないけど、私にはこれも必要なことだからね」
「……大倶利伽羅。相州伝の広光作で、前の主は伊達政宗。名前の由来は彫られた倶利伽羅竜。……それ以外は特に語ることはない。無銘刀なものでね」
 淀みなく紡がれる言葉に息をのむ。刀剣男士達の自己紹介というのは、基本的に一律に決まっているものだとは知っていた。刀たちだけが知っている逸話も多いと聞く。実在しない刀については、その逆も。彼らは人の歴史を守るための存在で、そこから生まれたもの。だから後世の人々が知り得ないような事柄については秘匿されている、とも、依り代に降りた時点で、記憶として所持していない、とも言われている。
 私はそんな大倶利伽羅の自己紹介を、一ヶ月、一度も聞かなかった。それは、私がたったそれだけのことも訊かなかったことの証左だ。それを大倶利伽羅はなんとも思っていないのだろう。そういえば、戦のない遠征に出したときも不満のようなものを口にしてた。彼を含めて数振りに万屋までお使いを頼んだときも、はっきりと行かないと。平野の言うことは合っているのだ。
 だからといって、何もかもについて、口にしないならなんとも思ってないなんて暴論、考えちゃいない。
「……もう良いか」
「待って。私にも、」
 話は終わったとばかりに立ち上がった大倶利伽羅を引き留めようとした直後、こんのすけが飛び込んできた。
「申し訳ありません審神者さま! 入電です」
「っ、誰から」
「それが……」
 言いにくそうな様子に首をかしげる。原則、審神者としての仕事に関係のないものは全て日曜日に回してくれる手筈になっている。こんのすけが言い淀んだことから、多分仕事のことではないのだろう。緊急性の高いものでもなさそうだ。
「誰かの訃報?」
「いいえ! ……その、審神者さまの元婚約者殿です」
「――。……そう。わかったわ」
 何かあっただろうか。考えるも、答えなど分かるはずもなかった。
 目で大倶利伽羅を制止して、むすっとしながらもその場から動かないのを確認して、こんのすけから回線を繋いで貰う。情報の漏洩に備えて不鮮明な映像と音声のまま、声を掛けた。
「……久しぶりね」
 なんと切り出して良いのか分からず、挨拶を口にする。そうだね、と声が聞こえた。
「あま 長い時間は れない   て るから、 短に話  。縁談が決まっ   。 は幸せ  る 」
 細切れになる音声にノイズがはしり、上手く聞き取れない。それとも私に集中力がないのだろうか。今更なにを言うことがあるのだろう、と、疑問があることは確かだ。
 けれどなんとなく、これが最後なのだろうとだけは感じ取ることが出来た。
「――君の武運を祈っている。どうか健やかでいてくれ」
 最後に、はっきりと聞こえた言葉。それは、今まで長い間そうだったように柔らかい彼の声で紡がれた。
 はくはくと、顎が動くのに、言葉が見つからない。
「祈らなくていいわ。もう十分祈ってくれたじゃない。これ以上私にかかずらって、心を削らないで」
「……審神者さま、通信は既に切れております」
 腹に力を込めて早口でまくし立てるも、こんのすけが申し訳なさそうに頭を垂れた。
 なんだ、それ。
「……。そう。……こんのすけ、ありがとう」
 多分、本当に、別れの言葉だった。そういえば一ヶ月前、別れを切り出されはしたが、挨拶らしい挨拶はなかった。だからだろうか。一ヶ月の間、細かい話は全部身内に丸投げした私よりも別れを切り出した彼の方が大変だっただろうに。記録したものではなく直接時間を設けるなんて……全く。
 気の緩みから目元が熱くなるのを感じたが、大倶利伽羅が未だ部屋に留まっていてくれているのを忘れたわけではない。
「見苦しいところを見せてごめんなさいね」
「……」
 それでも、彼にそうしたように、声に力は込められなかった。心のほつれをすぐに直せるほど場数は踏んでいない。
 大倶利伽羅には悪いが、声の震えを、泣きそうになる気持ちの高ぶりを抑えようと深呼吸を数度繰り返す。そうして話を中断して悪かったと、話の続きをしましょうと、そう言うつもりだった。
「、」
 言葉は頭の中に浮かぶのに、口ばかりはくはくと動くだけで、一向に声に乗せることができない。喉に力を込めると、どうしてだか胸の奥から熱いものがせり上がって。
「もうしわけ、ない、けど……時間を、改めましょう。今日はこれで、」
 無理だ、と、思った。話の続きをすることも、大倶利伽羅に下がって良いと伝えることも。
 咄嗟に俯き、口を噤む。唇がわなわなと震えた。ひくりと喉がひくつき、漏れそうな嗚咽をこらえる。代わりに、息が荒くなった。胸の奥からじわりとにじみ出すもの。それが身体の内側を伝って、目から静かにこぼれ落ちた。
 ああ、これでは、意味が、
「……」
 ふと影が落ち、それが大倶利伽羅のものであると気づいたときには、目元に暖かなものが触れていた。
「え、え、」
「動くな」
 大倶利伽羅が、指先で、私の涙をすくい取っていた。
 それを理解して咄嗟に顔を上げようとしたが、他ならぬ彼によってそれを止められる。
「……悪いが、手頃な持ち合わせがない。我慢しろ」
「それは……気にしない、けど、」
 人差し指、中指、薬指、そして親指。それぞれでぎこちなく涙を拭われる。まるで躊躇うような指先の動きは優しく、柔らかく、乱暴なものではなかった。
 しばらくの間、されるがままになる。大倶利伽羅が初めて私に対して歩み寄ったことの驚きで、涙が新しく出てくることはなかった。
「……あ、ありがとう」
 そっと顔を上げる。気づけば、距離は今までになく近くなっていた。大倶利伽羅は返事の代わりに鼻を鳴らし、手を引っ込める。
「私の事情は、誰かから聞いた?」
 おずおずと切り出すと、大倶利伽羅は目線だけを私へ寄越して、少し目を細めた。多分、初日に薬研が話していると思うけれど。
「ええと、今のは」
「……あんたの口からは、何も聞いていない」
 ふいと視線をそらした大倶利伽羅は、そう呟いた。はっきりと聞こえる声と言葉で。だから、多分返事なのだろう。口ぶりから、やはり誰かしらからある程度の事情は聞いているようだった。
「だが、別に知りたいとも思わないな」
 ……珍しく、大倶利伽羅の言葉数が多い。じっとその横顔を見続けていると、耐えかねたのだろうか、ため息をつかれた。
「それで?」
「え?」
 じっと、金色の目が私へ向けられる。
「あんたは、後悔しているのか」
 静かに投げかけられた言葉は、問いかけ以上の感情が見えなかった。まるでそれ自体が薄く光を発しているかのように見える目を見つめ返しながら、私は答えていた。
「してない」
 多分、考えるよりも早かった。だから後悔の涙ではない。……はずだ、きっと。
 大倶利伽羅は即答した私が意外だったのか、少し間を置いた後、ふと
「……そうか。なら、この話はこれで終わったな」
 笑っ、た?
 間の抜けた顔をしていたと思う。けれど大倶利伽羅はもう私を見なかった。一言、もう行く、とだけ言うと、そのまま振り返りもせずに襖を開けて、音もなく閉め、来たときのように帰って行った。
「……」
 待って、と言えたら良かった。だからといって何を聞くこともできなかったけれど。多分、いつになく、大倶利伽羅の機嫌は良かった……気がする。笑ったように見えたのはきっと、私の答えが彼の期待に応えるものだったからだろう。
 でも、なんで?
 疑問符を浮かべたまま、私は平野が床(とこ)の準備が整いましたと入ってくるまでその場を動くことができなかった。

2020.02.15 pixiv同時掲載