心恋相語れり
(4)
あれから、大倶利伽羅の雰囲気が再び柔らかくなることはなかった。でも多分、それが大倶利伽羅という刀剣男士だと言うことだろう。そう思えるようになるくらいには、私の心もゆっくりと癒えていた。大倶利伽羅に対する苦手意識とも言うべき緊張はまだ僅かに残っているが、必要以上に萎縮したり、構えたりはしていないと思う。その代わりと言ってはなんだが、大倶利伽羅について考えることが増えた。というのも、あの日、ほんの僅か口角を上げたように見えたことが解せないからだった。
大倶利伽羅は私が婚約を破棄したことと、その直後に顕現したために私が平静を装えなかったのだと誰かから聞いているはずだ。けれど、察しの悪い刀ではない。現世のことを知らないわけでもない。私が大倶利伽羅自身に対して抱いていた緊張がどうしてなのかを薄々は理解しているはずだ。その上で、彼は今に至るまで何を言うこともなかった。
元婚約者の別れの言葉を聞いた夜も、事情を知りたいと思わないと釘を刺してきた。その後、……恐らく私の涙を見たからだと思うけれど、後悔しているかどうかを確認して、私が否と答えるとこの話は終わりだと切り上げた。
一連の行動と言動を、どう読み解けば良いものか。それを紐解くことが出来れば、きっと大倶利伽羅という刀剣男士のことを、もう少しくらいは理解できると思うのに。
少なくとも帰り際、興味がないから話を終わらせたようには見えなかった。
「……おい」
「え」
つらつらと考えていると、当の本人がこちらを見ていた。
「なに?」
「言いたいことがあるなら言えばどうだ」
「あら、……まさかそれをあなたから言われるとは」
「あんたの視線が鬱陶しい。この頃は特に目に余るぞ」
「それは失礼」
夕飯を皆と共に取っていたのだが、知らず大倶利伽羅の方を見つめていたらしい。凝視していたわけではないが、少しでも機微を感じ取りたくて顔ばかり伺っていたのは間違いない。
少し、不機嫌……かな? 燭台切光忠なら、もっと分かるのだろうけど。大倶利伽羅以外から答えを聞くのは禁止しているのだ。
「別に言いたいことがあるわけではないわ」
「じゃあなんだ」
珍しい。今日は会話してくれるようだ。
「私がすっきりするように答えてもらえるなら、多分今後は必要以上に見ることはなくなると思うけど」
「……」
返事は盛大なため息だった。
「……用を片付けた後だ」
それは紛れもなく了承の言葉。私は頷くと、必要な用事は全て片付けてからでいいと前置きして、部屋に来るように約束を取り付けた。
不思議とどきどきしている。やはり大倶利伽羅と話す時はまだ緊張がとれない。前ほど嫌な感じはないし、自己嫌悪もなくなったから、早く身体に染みついた反射が取れるといいのだが。
大倶利伽羅と別れて自室に引き上げる。待ちがてらもてなしの用意をしようか。
仕事のこと以外で、近侍以外を呼ぶことは殆どない。彼らには遠征や出陣の他、内番、その他雑務を偏りがないように持ち回り制にして全員にお願いしており、日々の余暇はさほどない。そのため、夕飯以降は基本的に自由時間とし、自分のための時間として使うように指導しているからだ。私もプライベートな時間を持ちたいので、一人でゆっくりと過ごして朝に備えている。
外からの客人もほぼないから、自室に誰かを招くというのは小さな非日常感があった。浮かれていると言っても良い。どうせ同じ時間を過ごすのなら、気分良く過ごしてほしいと思っていることあるだろう。何せ仕事の話ではないのだから。
自分のために取っておいた上等の茶菓子を包みから出し、お茶の準備をする。近侍に頼んでもいいが、まあ、こんなことくらい自分でやってもいいだろう。今日は特に、私自身が必要に迫られたわけでもない。
そうこうしている間に前にも聞いた足音が聞こえた。それなりに重く、けれどゆっくりで、廊下がきしまないように極力配慮された……ああ、燭台切光忠には似ているけれど、それよりも歩幅の関係だろう、小刻みなそれ。
「……」
襖が静かに開き、その向こうの大倶利伽羅とばちばちに目が合った。へら、と笑うとため息で応えられる。前まではかなり心に来たが、大倶利伽羅が自分の意思で決めてここへ来たということが私を鼓舞していた。
「いらっしゃい」
前にそうしたように、座布団を置く。その前に茶菓子とお茶を。
大倶利伽羅はそれらを見下ろした後、黙って座布団の上に座った。片膝を立て、向きとしては私の斜め前を見るお馴染みの形だ。
「粗茶ですが」
そう言うと、大倶利伽羅はしばらく黙っていたが、観念したようにして湯飲みを手に取った。それを少し口にして、湿った唇が動く。
「あんたが淹れたのか」
「ええ」
極端に不味くはないはずだ。好みは人それぞれの上、こだわるほど詳しくもないが。
「お茶はともかく、お菓子はそれなりにいいものだから安心してちょうだい」
「……不味いとは言ってない」
「忌憚ないご意見どうも」
茶菓子に手を伸ばす大倶利伽羅を見ながら、私もお茶とお菓子に口をつける。
「今日はやけに機嫌がいいんだな」
と、静かに紡がれた言葉に目を見開いた。
「何故驚く」
「……いや、機嫌良さそうに見えた?」
「ああ」
そうなのか。まあ、確かに悪くはない。こうして大倶利伽羅が私と話をしようとしてくれる姿勢が嬉しいし、何より大倶利伽羅がそう言うのならばそうなのだろう。それよりも。
大倶利伽羅も私のことを見てくれていたことが意外でもあり、なんだか嬉しかった。嫌われてはいないらしいと分かった気がして。
「それを言うなら、大倶利伽羅も口数が多いわ」
「……うるさいというのなら黙っていてもいいが」
「なら今後もあなたの顔をじっと見ることになるわね」
ため息が返ってくる。けれど、見たところ不機嫌……には見えない。なんというか、彼から感じる『圧』のようなものがない。……ように見える。
「……あんたの不躾な視線の理由は」
むっすりとしているけれど、怒っているような感じではない。
聞いていたとおり、大倶利伽羅は声を荒らげることはまずないし、血の気が多いわけでもない。言葉にすることを疎かにしているような感じはあるが、私を含め、他の刀を嫌っているようでもない。まあ、誰かといるということは少なからず会話が必要だから、会話の必要がない……彼を理解してくれる馴染みの刀か、愛想のあまりない刀、口数の少ない刀以外とは少し折り合いが悪いのも確かだ。
「あなたのことを知りたいと思ったから」
仕事の合間に大倶利伽羅を見かけると、ふとその姿を目で追いかけていることが増えた。時にはそれは山姥切国広と黙って休憩しているところだったり、あまり皆の寄りつかない倉の近くで静かに目を閉じて休んでいるところだったり、他の刀種との手合わせに打ち込んでいるところだったり。シーンは様々だが、そのどれもで、見る限り大倶利伽羅が声を荒らげていたり、逆に満面の笑みを浮かべていることはなかった。でも、いろんな姿を見ていると、徐々に分かってくることもある。相対的な物差しが出来てくる。遠目では分からないことも、近くでなら感じ取れる。だから自然と、大倶利伽羅を観察する距離は短くなる。
「……必要ないだろう」
「あるわ。まあ、あなたには必要のないことでしょうけど、私のやりかたには必要なの」
大倶利伽羅に対する苦手意識とも言うべき緊張を無くしていくためにも、私は彼と言葉を交わし、コミュニケーションの成功体験を重ねていかなくてはいけない。ただでさえ気後れしていた分があるのだ。他の刀よりも多くなくてはならなかった。長谷部風に言うのなら、上に立つ者として審神者があてがわれている以上、個人的な理由で苦手だから特定の刀剣男士と向き合わないのは職務怠慢だからだ。生理的に合わないのは……仕方が無いかもしれないが。
「それで」
「……」
「あの日……前にここに来て貰ったとき、あなたは……ん、こういうのが適切かはわからないのだけど……機嫌が、よさそうに見えた。それが何故だったのか、どうしても分からなかった。あなたがあのとき何を考えて、どう感じていたのか。どうしてそうなったのか、見ていれば分かるかと思って」
勿論それだけではないが、言う必要は無い。
「聞けばいいだろう」
「私が納得する形で教えてもらえなかったら意味が無いから。それにあなたがどんな風なのか、少しでも分かっていれば理解が早くてすむでしょう。あなたもわざわざ言葉を重ねる必要も無い」
大倶利伽羅にとってもメリットのあることだ、と、伝えると、彼は茶菓子の残りを口に放り込み、少ししてお茶を飲みきった。
「……あんたが、」
「うん」
「一人で耐えられないのなら、なぜ他の奴らを頼らないのかと、考えていた」
大倶利伽羅の視線が私に向けられることはない。
「あんたは結局一人で耐えたがな。それに……脆いのかと思ったが、どうやらそうでもなかったらしい」
ちら、と金の瞳が私を捉える。緊張にドキッとしたが、その目に嫌なものは感じられなかった。が、イマイチその意味するところを図りかねる。
「……あんたに不満はない。それだけだ」
「……? 話が飛躍している気がするのだけど」
「さあな。俺が何を思おうと、俺の勝手だ」
「それはそうだけど」
言い募ろうとすると、大倶利伽羅はさっと立ち上がった。
「あんたがなんと言おうと、これ以上言うことはない」
そして、やはり来たときのように帰ろうとする。正直引き留めたかったが、大倶利伽羅にそう言われては、場を持たす話題もない私は見送るしか出来なかった。その場に残された、空になった湯飲みと、茶菓子の包み紙を見つめる。
「よ、大将。話は出来たか?」
近侍が、大倶利伽羅が出て行った襖の奥から顔を出していた。直ぐ隣にある近侍部屋から直接来なかったのは薬研なりの気遣いだろうか。
「少しは。でもまだ不足してるわね」
「そうかい」
私の答えに、薬研は意外そうな顔もせず片付けを始めた。相手は大倶利伽羅で、少し前の私を思えば進歩した方だと思っているだろう。
「大将は戦場には出ないからなあ」
「そんなに違う?」
「いや、違うというか、死合いの最中、肌で感じるものもあるってことさ。演練や手合わせじゃあ分からん」
「ふうん」
そんなものだろうか。モニタリングは欠かさずしているが、肌で、ということはその場にいなければ分からない空気があるのだろう。
で、あれば。
「……こういうのはもっと適した奴らがいるだろう」
「確かに気心知れた刀に頼む方が仕事は捗るけど。普段のコミュニケーションに不足があると思えばこういう刃事(じんじ)もやるわよ」
珍しく語気を強める大倶利伽羅に、しれっと答える。大倶利伽羅を近侍に任命したのだ。
むすっとした顔を隠そうともしないが、けれど、大倶利伽羅は私の采配に従っていた。肌で感じなくては分からないのなら、戦場に行けない分、側でともに仕事をしようじゃないかということだ。
無論近侍は第一部隊の部隊長でもある。私が運営する本丸の場合、出陣の際には最前線で頑張ってもらうし、実際に踏破したことのない戦場の情報収集も大切な役目の一つ。最も責任ある立場と言っても差し支えない。そして、本丸内の雑務を免除される代わりに、私の仕事の補助を務めることになる。
「そう悪いことばかりでもないわ」
「……」
「もし私が本丸を長く空けるようなことがあった場合、またはコミュニケーションをとれなくなった場合、あなたたちでも本丸を回さなくてはいけなくなるかもしれない。近侍であれば審神者の業務について理解が進むし、有事の際、混乱なく動くことができる。実際、私が婚約破棄をされたとき……あなたを顕現する日取りをずらさざるを得ないほど本丸を空けなくてはなくてはいけなかったとき、薬研藤四郎はそつなく指示を出してくれていたしね」
極端な話、審神者自身の入院や現世での家督相続などでごたつかなければそうそうあることではないが、全くないとも言い切れない。審神者としての勤めが果たされていなければ強制的に職を辞するか、一切の支援や福利厚生を止められるので、最低限出陣は欠かすことができない。
本丸の外に出なくとも、体調不良などで満足に動けない場合は刀剣男士達に助けて貰うことになる。全員が知っている必要は無いが、指揮系統ははっきりさせておかなくてはいけないし、誰に任せても良いようにしておかなくては……例えばよく知った刀がもし折れてしまったとき、融通が利かなくなる。
「幸いこの本丸では誰も折れたことはないけど、戦争だもの。備えはしておかなくてはね」
一応、食料や物資の備蓄も余裕を持ってしているから、後は運用する者の問題になる。
「そういうわけで、あなたにもきっちり覚えて貰います」
「……チッ」
小さく舌打ちをしたが、大倶利伽羅が部屋から出て行くことはなかった。従順素直なタイプでこそないけれど、そう、同田貫正国と性質が近いのだ。頼んだことはやってくれる真面目さ、刀剣男士たちはその性質上、ヒトが好きな者が多いのだろうとは言われていたけれど、多分、大倶利伽羅もそうなのだ。
ただ、万屋の中にだけは本当についてきてくれなかったけれど。
2020.02.15 pixiv同時掲載