心恋相語れり

恋草の様相

 大倶利伽羅がその本丸に顕現したとき、戦場(いくさば)に何故弱い女が、と思ったものだ。身体が弱いのかと思っていたが、直ぐに案内役である薬研藤四郎に婚約が破談になったので心身共に疲れが癒えていないのだと説明を受けた後も、心の弱い者をいただきとするとは、と諦めにも似た気分になった。ただ、審神者は実際の戦場に行くことができないと聞いて、いくらか気分がマシになった程度だ。足手纏いは邪魔でしかない。

 刀であること。
 使われてその真価を認められること。
 業物であること。
 強さという実績を持つこと。

 自分のアイデンティティと共に成したいことはあったし、自らは刀であるので、戦以外での評価になんの意味も見いだせなかった。実際、それが審神者の評価になるわけでもない。
 ただ人間として肉を持った以上、生理現象からは逃れられず、食事と睡眠、排泄にあたって、大倶利伽羅は本丸という組織の中の一振りとして過ごさなくてはならなかった。
 苦痛と言うほどでもないが、煩わしいことが多かった。本丸の事情を説明するためにとつけられた平野藤四郎は非常に弁えた刀であったが、早く一人になりたくてしかたがなかった。そのためか黙って本丸の仕組みに従っていたが、燭台切光忠が既に厨を任される程度には本丸に慣れていたのは大倶利伽羅にとっては僥倖であった。社交的なあの刀は、大倶利伽羅が煩わしさからおざなりにしているところを勝手に拾い、恙無く取り計らうことを厭わない。無論大倶利伽羅に落ち度があればしっかりと口を出してくるが、そうでないのならそこまでべたべたとするわけでもない。
 弱い女だと思った審神者も、大倶利伽羅が直接顔を合わせることは殆ど無かった。僅かにあるやりとりも要領を得ず不毛と言うより他ないため本当にこいつは主として大丈夫なのかと思ったものだが、本丸内外での采配にあまり思うところはなく、仕事は問題なくこなせるのだろうと考えを改めた。
 よって、大倶利伽羅の胸の内に鬱屈したような気持ちが降り積もることはなかった。

 だが、審神者にとってはそうではなかったらしい。
 呼び出されたとある晩。なにがあるのかと思いきや最も煩わしい提案をされて、大倶利伽羅は端的に言って『がっかりした』。必要を感じなかったこともあるが、審神者に自分という者を認められた上で言葉のやりとりがなかったわけではない、ということについての失望が大きい。
 その上近侍である薬研藤四郎はまるで気配を感じさせず、控えている様子もないことに苛立ちが湧いた。流石に側に刀剣男士が一振りさえいない状態は拙い。大倶利伽羅でさえそう思う。それを見越されているのだと思うと、歯噛みした部分から苦さがにじみ出るようだった。同時に、近侍としてどうやら審神者から絶大な信頼を得ているらしい薬研藤四郎がここまで己のことを理解しているのであれば、いよいよもって審神者自身がなにもかもを分からないままでも十分だとも考えた。
 審神者なる者と刀剣男士たちが実際に戦う場所は、求められる役割は異なるのだ。それぞれが好きにすれば結果は自ずとついてくるものだろうという思考は間違ってはいないはずだった。
 一つ悪くないことがあったとするならば、長く連れ添ったという男からの離別の言葉に流していた涙が、過去にしがみつく類いのものではなかったと分かったことだろうか。慈しむ心、愛おしむ心。それが審神者に悲しむことを許していただけだった。殆ど無理矢理聞かされた話によれば、男と別れることになったのも、審神者業と男を並べて前者を取ったため。
 実際、大倶利伽羅が本丸へ顕現した時点で新人からは脱却しており、戦に関して、また審神者の勤めに関して不安そうにしたり、弱音を吐くような姿を見ることは一度たりとも無かった。
 ゆえに、どうやら弱いわけではないらしいと、大倶利伽羅は評価を改めねばならなかった。
 尤もその後しばらくやたらじろじろと見られていた上に近侍として命じられたことで、元の近侍は審神者の理解を補ってやるつもりはないらしいことに舌打ちを禁じ得なかったのだが。

 さて、不服ながら餌がないわけでもなく、大倶利伽羅は他の刀剣男士達から向けられる多種多様な視線をいなしながらしばらく近侍を務めていたが、鶴丸国永を迎えたことで大倶利伽羅の周囲が少しだけ変化を見せた。
 それは鶴丸国永が停滞を厭う性質であったからかもしれないし、大倶利伽羅が変質しただけなのかもしれない。ただ、変化があったことを認めずにはいられないほどに大きなものだったのは確かだ。
 鶴丸国永が本丸に顕現してから、彼は毎日なにが面白いのか理解しかねるほど楽しげに過ごしていた。それが練度の具合も相俟って比較的落ち着いた空気を持っていた本丸の空気を多少なりとも賑やかなものへ変えたのを、大倶利伽羅は感じていた。何よりも大倶利伽羅に強い衝撃をもたらしたのは、まるで子どものように些細なことを審神者に伝える鶴丸国永に、審神者がころころと笑うことだった。
 時としてそれは慈愛に満ちてまるで仏のようで、物を愛でるようで、かと思えば鶴丸国永がまるでヒトであるかのように、同類であるかのように扱っている風に見えた。
 その感情をなんと呼ぶのか、大倶利伽羅は知らなかった。
 そして極めて焦燥感にも似た感覚を持て余すまで、時間はかからなかった。

 大倶利伽羅にとって悪いことに、相手が鶴丸国永であったことと、鈍くはない燭台切光忠はしっかりと大倶利伽羅の変化にも気づいていた。ヒトの子どものようにからかわれることはなくとも、生ぬるい視線に心がささくれ立つようになり、それは日に日に強くなっていた。
 そんな折舞い込んできた『修行』という仕組みの導入は救いだったと言っても過言ではなかった。
 一人で戦える。
 一人でも勝てる。
 直談判するほどに固執したのは、己の想いがなんと呼ばれる物なのかを感じ始めたからに違いなかった。それを否定するべく向かったというのに、そのために審神者への感情を認めざるを得なくなったことについては、当時の大倶利伽羅からすれば皮肉と言うより他なかった。当然、馴染みの刀の目がより一層ぬるく感じたのは言うまでも無い。

 たった四日間で、と最初は思っていた修行も、どうやら普段の時間遡行と同じく実際には四日間では収まらないものであった。時間の流れを操作して修行からの帰還を早める道具もあるのだから当然だが、自分の刀としての有り様に考えが至ると、無性に本丸へ戻らねばという思いが強くなった。それは勿論強くなる上で、己が業物であると知らしめる上で審神者がなくてはならない存在なのだと認めたからこそ。そしてそれ以上に、もはや無視することのできなくなった女に伝えなくてはならないことができたからだった。

2020.02.15 pixiv同時掲載