錯綜バイオレット

07: 白い箱の中の、熱

 もーッ!十代ってばどこに行っちゃったのかなァ!
 いつも鍵の開けっ放しになった部屋を覗いても十代の姿は見当たらない。翔くんもきっと十代の側にいるはずなんだけど、こんな時に限って携帯に電話しても出ないし、きっと十代がどこかで決闘でもしてるんだろうけど翔くんまで連絡がつかなくなるなんて珍しい。十代の決闘を見てるんだとしたら集中してしまうほど面白いのをやってるのかも。
 でも今の私には関係ない。響先生に十代を連れて来るように言われているのだ。見つけ次第引きずってでも連れて行く心積もりでいる。響先生は困り顔だったから、きっとあらかじめ何か言われてたのに忘れちゃったんだろう。
 寮にいないとなるとあと見当をつけられるのは中庭か、校舎玄関前の芝生で寝転がっているとか。レッド寮から校舎までは遠いからあんまり往復はしたくないけど、ここにいないんだから仕方がない。決闘をしていることを前提で考えるといよいよどこにいるかが分からなくなる。耳を澄ましながら校舎へ向かう。十代は決闘ならだいたいどこでも受けて立つから、見つからない場合はいつも翔くんを頼るんだけど今回は当てには出来ない。
 そう思いながら校舎まで来たのはいいけれど芝生の上にも、中庭のベンチにも十代の姿はない。オシリス・レッドの中でもとびきり行動パターンが読めない十代の数少ない場所なのに……。
 全くどこに行ってしまったのやら、と思っていると、準くんが歩いているのが見えた。中庭を取り囲むように立つ校舎の廊下、私とはちょうど反対の辺に当たる場所だ。私は走って反対側まで回ると、正面から彼の名前を呼んだ。
「準くん!十代見なかった?」
「十代?……知らないな」
「そっか。ありがとう、引き留めてごめんね」
「いや」
 短いやり取りの後、いつも通りと言うべきか、彼の背中を見送る。それに違和感を覚えて、首をかしげた。そしてその原因に気付いた直後
 ピピピピピピピッ!
「!」
 携帯が鳴って、慌てて通話ボタンを押した。
『悪ィ!、何か用か?』
 十代だった。私は準くんの背中を見て、彼の進行方向を確認しつつ、呆れてしまった。
「あのねえ、用も何も響先生が十代のこと探してたよ?どこにいるか知らないけど、先生、いつもの部屋にいるから早いとこ行った方がいいよ」
『ゲッ!忘れてた……』
 いかにもしまった、と思ってるのが分かるような声で十代があちゃー、と小さく言ってるのが聞こえる。ため息混じりに苦笑が漏れた。
「私、ちゃんと伝えたからね。一緒に行けないけど、ちゃんと行ってよ」
『おう、サンキュー』
「どういたしまして」
 そこですぐに電話が切れた。準くんの背中はもう見えなくなってしまっていたけれど、方向は確認したからまだ走れば追いつけるはずだ。急ごう。
 あの時いつもと違うと思ったのは後ろ姿だ。いつもなら背筋を伸ばして力強く歩いているのに、なんだか今日は元気がないように見えた。
「……ッ!準くん!」
 少しして彼の背中を見つけた私は、またそれが消えてしまわないうちに呼び止めることにした。準くんは律儀に振り返る。追いついて、よく顔を見るとかなり険しい表情をしてる。
「……?なんだ」
「具合、悪いでしょう。大丈夫?」
 尋ねると少し驚いたように準くんの眼が見開かれた。きっと彼のことだから大丈夫じゃない、なんてことは言わないだろう。
「保健室行って、鮎川先生に診てもらおう」
「いや、オレは」
「ダメです」
 断固として言い切ると準くんは困った風に眉を下げた。そんな顔をしてもダメなものはダメなんです。
 何か用事でもあるの、と聞くと、彼は首を横に振った。私は彼の背中側に回って軽く押すことで促した。
「寝れば治る。少し頭痛がするだけだ」
「鮎川先生はお医者さんだよ。診てもらえばもっと早く治るって」
 ぐぅの音も出ないのか、ぱったりと抵抗をやめた彼と保健室を目指す。
「……十代は良いのか」
 か細い声に隣を見ると少し遠慮がちにも見える顔で準くんが私を見ていた。
「大丈夫!さっき連絡が取れて、私の用はもう済んだよ。……それより、その時準くんとはまだ別れてから距離がなかったと思うんだけど、聞こえなかった?」
 電話だったんだけど、と言えば、準くんは言葉を詰まらせて黙り込んだ。そこまで周りのことが見えてない、聞こえてないなんて珍しい。余程頭痛が酷いのかな……。
「失礼します」
 保健室のドアを開けると中に先生がいた。不在の時は鍵が閉めてあるから、まあ、開くってことはそういうことなんだけど。
「あら、小鳥遊さん。……と、万丈目くん」
 どうしたの、と目を丸くする先生に、準くんが頭が痛いそうです、と答えて入りたくなさそうに突っ立っている彼を保健室に引き込んだ。鮎川先生は軽く準くんの様子を見ると、そうねえ、と口を開いた。
「少し身体も熱いし、呼吸も乱れてるわね。万丈目くん、ちょっと無理したわね?」
 準くんは先生の苦笑にそんなことは、と言ったけど、先生にはお見通しだった。診るから席をはずすように言われて、私は保健室の外で待機する。待っててくれと言われたわけでもないけれど、連れて来るだけ連れて来て黙って何処かへ行ってしまうのもおかしいだろうし。それに、先生の言い方は軽い症状ではないと暗に言っているように感じたのだ。
 しばらくして、準くんが保健室から出てきた。
「どうだった?」
「風邪、だそうだ」
「熱は?」
「微熱程度。寮に戻って寝るように、と言われた」
「じゃあ私、食堂でご飯と卵もらってくる。何か食べないと薬飲めないし、お粥作るよ。準くんの部屋のキッチン借りるね」
 私の申し出……とは言い難い厚かましい提案に準くんは何度か何か言いたそうに口を開けたけど、最終的に出てきたのは了承の言葉だった。風邪とは言えそこまでふらついてるわけじゃないから寮までは一人で歩けるだろう。私は彼と別れると、すぐに食堂へ向かった。


 部屋のドアをノックすると内側から部屋着姿で準くんが顔を出した。いつもスキの無い出で立ちだから、ゆるい恰好にドギマギしてしまう。……当初の目的を忘れそうになっただなんて決してそんなことは!
「シャワー、浴びたの?」
「ああ」
「髪の毛は良く乾かさないとだめだよ。それで、あったかくして寝る!今からお粥作るから、休んでて」
 こっくりと頷いて、準くんは奥に引っ込んだ。私は簡易キッチンを借りて鍋に水を貼る。お粥はそんなに難しくないしすぐに出来た。食器とスプーンを探すと、丁度いい厚めのお椀と木製のスプーンが出てきたから軽く洗って、綺麗なタオルで外回りをふく。お粥を入れたお椀とスプーン、それにコップ一杯の水をお盆に載せて奥に行けば、準くんがベッドに腰掛けていた。私はベッドの側に置かれている棚の上にお盆を置く。ブルー寮は空調設備が整っているから寒くはないはず。
 準くんがスプーンでお粥を掬って、口元に運ぶ。それを見守っていたら笑われてしまった。
「食べたいのか?」
「……!ち、ちっがうよ!失礼しちゃうなァ!……味はどうかな、って思ったの」
「ああ、丁度いい」
 す、と口をつける姿は上品そのものだ。その眼が棚の上に置かれた時計に向けられて、私もつられてそれを見た。時計はそろそろ五時を指そうとしていた。
「夕食に行かなくていいのか?」
 ぐう。
 私の代りに、お腹が返事をした。
「――~~ッ!わ、私、行って来るね!扉あけとくからね!」
 スプーンを置いて、ぷるぷると身体を震わせて笑う準くんに急速に顔が熱くなるのを感じつつ、私はすぐに部屋を出た。ブルー寮はオートロックだから、ドアガードをかませておくのを忘れずに。
 なんだか、彼にはカッコ悪いところばかり見られている気がするのは、気のせいじゃない、よね?
 笑えるくらいの元気があるならよかった、なんて、彼のことになると道化でも構わない思ってしまう。つくづく私って馬鹿なのかもしれない。しかもそんな自分が嫌いじゃない、とまで思って、これは救いようがないな、と自分のことながら苦笑してしまった。



 食事も終えて、私はレッドじゃなく、ブルー寮に戻ってきた。戻ることを前提で扉を閉めてこなかったんだからまあ当然だ。一応とはいえノックするのをためらったけれど、私は構わず入ることにした。起きていても元気な返事なんて無理だろうし、ベッドから歩かせる真似も出来ないし、ここは無神経な位の方がいいだろう、という本当に勝手な自己判断だ。
 部屋に入って覗き込むと、どうも薬は飲んだみたいで、お粥も全て食べきってあった。準くんはやっぱり眠っていて、寝顔をじっと見てみると普段より幼く見えた。普段が年相応に見えないから余計にそう思ってしまうのかもしれない。
 折角起こしてしまうのも、と思って、空いたお盆を下げる。軽く洗って簡易キッチンから出るとなんとなしに室内を見渡した。この前お邪魔した時は眠ったり話たりに終始していたから、じっくり見る時間がなかった。レッド寮とはまるで違う高級感あふれる調度品の数々は、一人では広いと思える部屋を適度に飾っている。床だってきしまないのはもちろん、寝てしまえそうなほどふかふかのカーペットが敷いてあるし、ソファの柔らかさだってレッド寮のベッドをはるかに上回ってる。
 それらすべてが準くんにはぴったりだ、と思うのは私の欲目だろうか。レッドはもちろん、イエローだって、準くんには似合わない。深く色濃く、気高い青が、彼には相応しい。この学園に来て特にそう思う。
 未だにスクラップ帳を見るのが日課だけれど、少しずつ、今の準くんが増えていく。遠くて間接的に見ていた姿が、近くて直接的なものに変わっていく。それをなんて言えばいいんだろう。過去と今とを少しずつ繋いでいくような、彼の写真を見つめる日々を、目の前にいる彼で塗りつぶしていくような、なんとも言えない気持ち。楽しいけれど、何処か歪で……嬉しいけれど、寂しいような。
 初恋を卒業する、と言うのは、こういうことなのかもしれない。テレビ画面の中で、写真で、きらきらと輝く彼に胸が苦しくなる日々。好き、という気持ちが彼に向いているのだと自覚したのは、実はつい最近のことだ。自覚したからこそもっともっとこの学園に入らねばと言う気持ちも強くなったのだけれど、それは飽くまでジュニア時代の彼に対する想いだった。柚月にも言われたけれど、ジュニア時代の、過去の準くんを好きになるっていうのは、この世にいない人に恋をすることと同じだ。でも、染みついてしまった気持ちを捨てるなんてできないし、それで良いとも思っていた。
 今の彼を知っていくことで昔の彼から離れていく気がする。そう感じることがある。日に日にそれが増えていく。悪い事ではないはずなのに、少し怖い。このまま昔みたいに接していていいんだろうかとすら思ってしまう。今の距離はきっとぎりぎりなんだ。これ以上、近くなるのは危ない。きっと何かが壊れてしまう。……それとも、何かが繋がってしまうのか、消えてしまうのか。そうなれば、こんな風にはもう、なれない。出来ない。
 約束と、ジュニア時代と、今と。私の中で分離していて全くの別物だったことが、混ざっていく。融けていく。その果ての私を、準くんが受け入れてくれるかどうか分からない。怖いと思う原因はそこだ。準くんを見る限り、そんな風に思ってはいけない気がする。全てが混ざってしまった後の気持ちを、もし準くんに知られてしまったら、と思うと、私は必死に考えることをやめたくなるのだ。
「……?」
 丁度いいタイミングでそうさせてくれたのは、準くんのかすれた声だった。
「起こしちゃった?」
「いや」
 否定するものの、まだ声も覇気と言うべきか、力がないし、瞼も重そうだ。私は一言断ってから準くんのおでこに手を当てた。熱いし、汗が出ている。
「冷たい……」
「準くんが熱いんだよ。ちょっと待ってて」
 まさか夜通し看病なんて無理だし、私はキッチンに行って、水差しとたらいに大量の水と氷を突っ込んだ。水差しはコップとセットで再びお盆に載せて、たらいにはタオルを突っ込んで、よく絞る。その二つを準くんのもとに持って行って、タオルはそのおでこに載せた。彼はそれを手にとって、むくりと起き上がる。それで顔を拭きながら、少しせき込んだ。
「大丈夫?」
「……水をくれ」
「はい」
 コップに水を入れて渡すと、準くんは一気にそれを飲み干した。飲み干した後、はぁ、と息をつく。コップをお盆に戻せば、またベッドに逆戻りだ。辛いんだろう。
「じゃぁ、私、これで行くね?氷水入れたたらいもこっち持ってきておくから」
 準くんは何か言いた気に私をじっと見ていたけれど、私はそそくさとたらいを移動させた。私がいると寝られないんじゃないかと思って。けれど準くんはもぞもぞとベッドから手を出してくると、たらいを置いた直後の私の手を掴んだ。
 え、と言うよりも先に準くんの瞼が落ちる。ついでに横を向いたせいでおでこに載せなおしたタオルも落ちた。
「準くん?」
 名前を呼ぶけど反応はない。……お風呂や就寝時間まではまだ時間がある。眠ってしまうまでいることはできるけれど、カーペットに膝をついたままだとちょっと維持が厳しい。姿勢を変えるために一度彼の手を放そうとすると、力を込められた。
 準くん、ともう一度呼ぶと、その手が離れる。私はまず落ちてしまったタオルを氷水に入れる。必要な時はキンキンに冷えて気持ちがいいはずだ。それからベッドの脇の床に改めて腰をおろして、手をつなぎ直した。薄く、彼の目が開く。
「おやすみ」
 熱い彼の手を両手で包むと、冷たい私の手まですぐにあったかくなりそうだ。綺麗な手なのに、大きくて固い。ゆっくりと閉じていく目蓋に私まで眠くなりそう。まさか今寝るわけにはいかないから、そんなことはできないけれど。
 少し経つと呼吸が変わって、私はそっと手を離した。鮎川先生が処方した薬が何かは知らないけれど、きっと良く効くはずだ。
 また明日、あの力強い背中が見られますように。
 そう願いながらドアをそっと閉めると、固く重いロックがかかる音がした。

2010/07/05 : UP

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