錯綜バイオレット
08: 気になる一票
柚月から発せられた単語に、私は思い切り顔をしかめた。なんじゃそりゃぁ!という気持ちを前面に出せていたと思う。
「ミスター・デュエルアカデミアァアア?」
今いるのは柚月の部屋だ。いつも通り緑茶とお茶受けを頂きながらだったのだけど、折角味わって食べていたものが感じられなくなるほど、柚月の口から出てきた言葉は衝撃的だった。当の柚月はまるで何でもない事のように平然としている。
「そ。中等部でもあったんだけど、高等部でもやってるみたいねェ。毎年やるのよ」
「ミス・デュエルアカデミアみたいなのを?」
はっきり言って私には全く縁のないイベントだと思う。ミス・デュエルアカデミア……ミスコンの時だって全く興味もなかったし、まさか私がエントリーされるわけもなかったし。ミスターと言うからにはミスコンの男版なのだろうけど、何故柚月がそれを私に言ってくるのかが分からない。
「また全員参加なの?」
それくらいしか見当がつかなくて柚月に尋ねると、彼女はいつも通りと言うべきか、やる気のなさそうな様子で答えてくれた。
「勿論。でも、ミスとは違って女子だけの非公式なコンテストよ。秘密裏に行われるの」
「ひ、秘密裏?」
「全男子生徒の顔写真をリストアップして決闘・筆記それぞれの総合成績順にならべたものを女子更衣室に貼って、そこから選ぶのよ。人気投票ね。まあ、非公式、秘密裏と言っても知ってる男子生徒も僅かにいるけど」
柚月の説明に、私は開いた口がふさがらなかった。勿論一位になればすごいだろうけど、それに何の意味があるんだろう?名誉なことかもしれないけど、当の本人に知らされるわけじゃなさそうだし。
「現時点ではキングとカイザーを除けば、一年に票が集まってるわよ」
「え、一年生ってそんなに集まるものなの?」
「前の決闘大会で勝ち上がってきた面子ね。十代、翔、大地、そして万丈目」
意味深に笑まれて私の心臓が跳ね上がる。
「例外としてヨハンも地味に。まだ締め切りまでには日があるけど、投票受付開始からもう上位20にランクインってのはさすがと言うべきかしらね。知名度の差だろうけど。十代と翔は主に上級生から票をもらってるようよ。最近決闘の調子も良いみたいだから余計ね。万丈目とヨハンは全学年からまんべんなく。大地は……同学年からの支持率が高いわね」
「ね、ねえ、柚月、そういうのってドコから情報が入ってるの?」
「どこからともなくよ」
肩をすくめ、私は内部生だから実行委員とも面識があって話をするし、と柚月は言う。投票状況は本当にいろんなところから漏れてくるみたいで、それが一部の男子生徒にばれてる原因なんじゃないかと思う。
「調査によると、歩のおかげで万丈目の株が上がってるって」
「わ、私?」
思わぬところで名前を出されて、私は数度目を瞬かせた。
「ルックスも頭もいい。決闘も強い。でも性格に難ありって評価で票の伸びは悪いって予想だったんだけど、歩といるようになってからは表情も柔らかいし好感度も上がったって。……どう?気分は」
「どう、って言われても……。それは光と闇の竜が準くんのデッキに戻ったからだよ。私、何もしてないし」
「そうじゃなくて」
首をかしげて眉を寄せたままの私に、柚月は深いため息をついた。
「王子の人気に火がつかないか心配じゃないのかしら、ってコト、ヨ!」
「ふひ」
にぶちん!と言われて鼻をつままれた。すぐに放してくれたけど、ちょっと痛い。私はつままれた鼻を押さえながら、心配と言われても、とまた言葉に詰まった。
「他の子に囲まれるようになったら話す機会もなくなるわよ」
「や、でも、そういうの、準くん好きじゃなさそうだよ」
「そこが硬派で良い!って余計人気出たりして」
「うー……それは、ちょっと寂しいかな」
ちくりと刺すような胸の痛みに、私は顔をしかめた。
「人気投票で上位になれば、ファンクラブが作れるからね。そうなるといろいろ厄介な追っ掛けも出てくるだろうし?」
柚月も少し気難しそう。……何か嫌な思い出でもあるんだろうか、中等部時代に何かあったのかもしれない。
「万丈目のヤツ、またコワイ顔に戻っちゃったりして」
けれどそれを聞く前に、柚月はにやりと笑いながら私にそう言った。
「それはいや!」
訊き逃がした、と思うのとほぼ同時に、私は柚月の言葉に反応していた。準くんが、またとげとげしくなってしまうのは嫌だ。すごく、嫌だ。また話しにくくなってしまうし、何より、悲しい。
それをはっきり言うと、柚月は目を丸くして、それからたっぷり数拍置いて噴き出した。
「冗談よ、ジョーダン。ま、今日にでもヒマがあれば更衣室に行って、誰に入れるか決めてきなさいよ」
「え?柚月もう入れたの?」
「まァね」
「……誰?」
「ナイショ」
珍しく艶やかな笑みにドキリとする。これは誰か好きな人にでも入れたのかと思って粘ってみたのだけれど、結局柚月は教えてくれなかった。ただ、良い男よ、と言って、すごく綺麗に笑った。
恋をすると綺麗になると言うけれど、柚月のあの笑顔はつまり、そういうことなのだろうか。
放課後、やることがあるわけでもなく、誰と約束があるわけでもなく、先生に用事を仰せつかったわけでもなかったから、私は一人女子更衣室で考えた。もとい、暇を持て余していた。他に人がいなかったわけではないけれど、大きな張り紙の前でぼんやりと柚月のことを考えていたら、いつの間にか私以外にはだれもいなくなっていた。柚月の笑顔を思い出すと、何人もの男子生徒の顔写真もかすんでしまう。……男子には悪いけど。
もし。もしも柚月の好きな人が、準くんだったら。
なぜか初めに思ったのがそれだった。そう思ってしまったことも、私が集中できないでいる原因の一つでもある。別に、準くんでも良いじゃないか。大好きで大切な人同士がもし恋人になれば、それは素晴らしいことのはずだ。なのにもやもやとしてしまうのはヤキモチなんだろう。準くんを取られたくないのだ。柚月に対してそういう気持ちは持ちたくないけど、そういうことなのだ。
まだそうと決まったわけではないし、寧ろあの気持ちいい位色っぽい笑みは全く別の人だということの表れである可能性の方が高い。それにもしかしたら実はすでに彼氏がいるのかもしれないし。
いつも柚月には話を聞いてもらってばかりで柚月からそういったことを聞かないから、今まで考えもしなかった。これは、マズイ。友達って、もっとお互いがお互いにお互いのことを知っているものじゃないだろうか。気を使うような仲じゃない、とは思ってるんだけど。
なんとかせねば!と意気込んだものの、そこでようやく意識が柚月から離れた。何人もの男子生徒の、この写真の中に柚月が票を入れた人がいるのだ。そう思うと一人そわそわと心が騒ぐ。
どれだろう?
写真は左上から成績順で並んでいるけれど、まあ、概ね寮ごとに分かれている。左側はオベリスク・ブルー、中央はラー・イエロー、そして右側にオシリス・レッド。アングルは全てばらばらで、カメラ目線が極端に少ないから隠し撮りっぽい。でもその人の一番いい顔を映しているようにも感じられる。そのまま目を滑らせていくと、準くんを発見した。弾けるような笑顔ではないけれど、穏やかな顔をしてる。カッコイイ。……はがしてしまいたいくらいだ。いや、やらないけど。いくら欲しくても、さすがにここから取ってしまうのは泥棒だし。
……これ、投票が終わっていらなくなったらもらえるのかな……。
「……小鳥遊さん?」
「ひえッ!?」
やましい事を考えていたところで声を掛けられて、私は本当に飛びあがってしまった。ぴょん、と跳ねた姿は傍から見るとさぞや滑稽極まりなかっただろう。幸いにも、私とその人以外誰もいなかったけど。
振り返ると、そこには大きく柔らかそうな魅力的な胸が視界いっぱいに広がっていた。少し視線をあげる。
「!天上院さんッ!」
「こんにちは」
長くてきれいな髪の毛。ぱっちりした目。ぷっくりした唇。同性の私でもムズムズしてしまうほどの威力だ。翔くんが天上院さんを魔性の女だと言っていたけど、同意せざるを得ない。
「小鳥遊さんも、投票に?」
「『も』って……天上院さんは」
「私、こういうの興味ないんだけど、全員参加らしいじゃない?」
肩をすくめる姿も美しい。
「天上院さんは誰に入れるの?」
「兄さんにでも入れておくわ」
「お兄さんってことは……キング吹雪!」
改めてキングの写真を見る。場所なんて分かり切っていた。カイザーと同じ。左上だ。
性格は全く似てないけれど、容姿はどこか似ているようにも見えた。男と女だからあんまり似てると言いきるのもどうかと思うけど、天上院の兄妹はどちらもその、なんていうか、オーラ、みたいなものがある。その点においてソックリだ。
「……あ、天上院さんって、柚月が誰に入れたか、知ってる?」
「柚月?ごめんなさい、聞いてないわ……。それに柚月もこういうことには関心がなかったと思うんだけど」
私もそう思ってたのだ。あの笑顔を見るまでは。天上院さんとは中等部からの付き合いで仲もいいと話に聞いていたからもしかしたら知っているかも、と思ったんだけど、当ては外れてしまった。
「そういう小鳥遊さんはもう済ませたの?」
「あ、うん、まだだよ。なんていうか、あんまりこういうの興味なくて」
曖昧に笑うと、ホント興味のない人間にとってはとばっちりよね、と天上院さんがため息をついた。
張り出した写真の隣に置かれた投票所で迷いなく名前を書いて箱に入れる彼女を見る。投票用紙は生徒がそれぞれ持っている学園のメールアドレス宛てに送られてくるメールを印刷することでしか有効にならないから、滅多なことで成りすまし行為などの不正は出来ないとかなんとか。加えて、一部熱狂的なまでにこの手の催し物を支持している人たちがいて、そういう人たちが目を光らせているんだそうだ。ファンクラブ関係の自治体が存在するって。なんというか、圧巻の一言に尽きる。
決闘なら張り切るのに、と天上院さんは言い残して、更衣室から出て行った。また私一人になる。
私もこれが決闘大会なら頑張れたかもしれない。カイザーとの決闘、そして中間テスト免除を掛けた時の決闘大会では自信がなくて参加自体しなかった。でも今ならきっと参加するだろう。――……それは、そうやって私を奮い立たせてくれるのはやっぱり今も変わらない準くんとの約束だ。自信をつけて、勝つつもりで、勝負を挑む。そのためにも今は決闘がしたい。
考えて、私はとりあえず更衣室から出ることにした。やっぱりこういうことには盛り上がれない。元々投票するつもりで来たわけではないから投票用紙を印刷して来なかったし。
そのまま寮にでも戻ろうか、と廊下を曲がった瞬間、
「!」
「!?」
視界の端に青色が見えたと思ったら、私は衝撃の後床にへたり込んでいた。冷たい床の感触と、痺れる身体の痛み。誰かとぶつかったのだ、と思うと同時に声を掛けられた。
「ッ、歩、すまない、大丈夫か」
聞きなれた声に少し顔を動かすと、準くんが膝をついて私の側にしゃがみ込んでいた。彼に怪我はなさそうで、私だけがはねられるように倒れてしまったのだと知る。
「準くん?どうしてこんなところに」
「!話は後だ。今は急ぐ。歩、オマエも来い」
「エッ」
腕を引かれて立ちあがるとそのまま、私が今出てきたばかりの女子更衣室へ連れ込まれた。……連れ込まれた場所が場所なだけにそう言っていいものか迷うけれど。
「ちょ、え、ここ、女子更衣室……ッ!?」
「緊急事態だ。少し黙っていろ」
準くんはそのまま適当にロッカーを見繕って私ごと入ってしまった。そして器用に内側からロッカーを閉める。急すぎて全く事態が把握できない。ただ狭いロッカーで密着しないなんてことは勿論なく、ぴったりと準くんの胸板に耳を寄せている状態だということだけはしっかりと、嫌になる位に分かる。それから準くんの吐息や、身体が当たっているところもどうしても意識してしまう。
「じゅ、準く」
「シッ!」
ぐ、と、まるで私の口をふさぐように準くんが私を抱く腕に力を入れた。これはなんていうか、心臓に悪い。とても。
それでもなんとか落ち着いてよく耳を澄ますと、彼は荒い息を無理やり殺しているようだった。そういえばぶつかった時も準くんは走っていたような気がする。……誰かに追われてる?
そこまで思った時、なんとも言えない嫌な感じがして、私は彼の制服を握りしめていた。――あの、変な決闘を見ていた時に似てる。どこからともなく不安な気持ちが膨らんで、原因も分からないのに恐怖を感じるのだ。
私が緊張したのを準くんも感じたんだろう。ぎゅ、と今度はなだめるように抱きしめてくれて、私はただひたすら『何か』が消えるのを願っていた。その『何か』はきっと準くんを追いかけていたのだ。もう血だらけになった準くんは見たくない。傷ついて、苦しむ姿なんて、見たくない。
それから何分経ったのかは分からない。ふと嫌な気配が消えて、私は息を吐くと同時に力を抜いた。念の為なのか準くんはじっとしたままだったけど、直にロッカーをゆっくりと開けた。
「……私、外に誰かいないか見て来る」
「気をつけろよ」
「うん」
周りを確認せずに出るなんて賭けが出来るはずもなく、他に女子が入ってこないか見るために、私は女子更衣室のドアを再び開けて、耳を澄ました。まさか準くんがやるわけにもいかないし。
準くんが入ったロッカーはここからでも確認できる。それを気にしながらあたりを見回した。こんな所は用がなければ誰も来ないと思うけれど、今は例の投票の件もある。十分に確認して、私は準くんに手招きをした。彼は音も立てずに私の側まで来る。そのまま二人、何食わぬ顔で更衣室を後にした。
「誰かに追いかけられてたの?」
「オマエが気にすることじゃない」
「でも、あそこに入るなんてよほどのことでしょ」
「……。知らないほうがいい」
「準くんの隠された趣味を?」
「歩」
咎めるように名を呼ばれて、私は肩をすくめた。あの嫌なものについて準くんは何か知ってるんだろうし、あの決闘のことを考えても間違いなく関わりがあるんだろう。この様子からすると所謂敵対関係なのかも。でも、それを私に教えてくれるというつもりはなさそうだ。私が何を言ったとしても。
「それより」
さも良い話題を見つけた、とばかりに準くんの声に鋭さが戻った。
「なに?」
「さっきの張り紙はなんだ」
「うええ」
よりによってその話!?と思ったけど、案外ちゃっかりと見るところは見ている彼に感心して……いいものか、今回ばかりは迷ってしまう。
「見ての通りだよ」
ため息とともにこぼれた言葉は、自分で思っていたよりもうんざりとした響きを持っていた。
「女子全員参加の秘密イベント。誰が得するんだか知らないけど」
「……秘密なのか?」
「一部の男子生徒は知ってるって聞いたけど?」
「女子の好きそうな催しものだが、歩は違うのか」
「そりゃ、目的がはっきりしてる投票なら参加意欲はあるよ!でも、人気投票って言われてもね……」
「だが、全員参加なんだろう」
「そうなの。だから迷ってたんだけど……。誰がいいかなァ。性格まで考えると、どうしても知ってる人になるよね」
うぬぬぐぬぬと唸ると、まだ決めてないのか、と聞かれた。そうなんだよねェ。
「……オレにしておけ」
「へ?」
「まだ決めかねてるなら、オレにしておけばいい」
らしからぬ言葉に、私は目が点になる。だって、こういうの興味なさそうどころか、毛嫌いしてそうなのに。案外票が欲しかったりするものなんだろうか?まさか、ね?
「いいの?」
「いいもなにも、歩の票だろう。決めるのはオマエだ」
「まあ、そうなんだけど。まさか準くんがそんなこと言うとは思わなかったから」
きっと私は間抜け面をしているのだろう。その顔で準くんを見上げていると、彼はどことなく居心地が悪そうに私から顔をそらした。
「別に、深い意味はない」
フン、とくだらなさそうに言うのとは反対に、どこかそわそわしている彼。なんだかおかしい。可愛い、というべきなんだろうか。愛おしい?愛らしい?
「じゃあ、そうする」
こらえきれずに笑うと、彼の耳に赤が走った。
投票そのものは翌日の朝さっさと済ませたけれど、結果については私の知るところではない。そんな結果よりも、柚月が誰に入れたのか、つまり彼女が入れ込む人について追及するのに必死だったからだ。柚月は私が準くんに入れると最初から分かっていたみたいで、余計に釈然としない。 加えて、いつか必ず話から、と逃げ切られてしまって、私は唸り声をあげた。
2010/07/14 : UP