錯綜バイオレット
09: 誘い水
「行くぜ歩!ハネクリボーレベル10の効果発動!相手フィールド上に攻撃表示で存在するモンスターを破壊し、その元々の攻撃力の合計分のダメージを相手ライフに与える!」
「そうはいかない、伏せカードオープン、ピケルの魔法陣!このターンのエンドフェイズ時まで私はカード効果によるダメージを受けない!モンスターの破壊は防げないから、私はターンを終了する」
「くっ……」
「甘かったね、十代!」
久しぶりに、決闘をしようと十代から持ちかけられた。私がそれに乗らない訳はなく、すぐに頷いた。――今回、私が使っているのはいわゆるテーマデッキに十代対策をしたものだ。
「オレのターン、ドロー!この瞬間、オレの手札はE・HERO バブルマン一枚のみ!このカードは自分の手札がこれ一枚の時特殊召喚できる……オレはバブルマンを守備表示で召喚!そしてこの召喚に成功した時、自分のフィールド上と手札に他のカードがなかった場合、デッキからカードを二枚ドローすることが出来る!」
流石と言うべきか十代のドローは相変わらず神がかっている。ハネクリボーレベル10でケリをつける予定だったんだろうけど、それを逃したのにこの冴えっぷりはなんだろう。手札や伏せカードのことを考えても私が有利なはずなのに、十代が相手と言うだけで安心感など全く湧いてこない。
「オレは手札から貪欲な壺を発動!墓地からモンスター五体を選び、デッキに戻してシャッフルする!その後デッキからカードを二枚ドロー!」
「……!」
変な汗が出た。ここまで引きが強いなんて……!
「歩!オレはあきらめないぜ!オレはE・HERO オーシャンを召喚、ダイレクトアタックだ!」
「ッ伏せカードオープン、和睦の使者!このターンの戦闘ダメージを0にする!」
「……ターン終了だ」
「私のターン、ドロー!」
十代のフィールドにはバブルマンとオーシャン。伏せカードはない。まだ私にもチャンスはある。きっと十代はあの二体か、次のターンのドローで引いたカードでさらに強力なE・HEROを特殊召喚するはず。今ここで一体は確実に壊し、出来ればダメージも与えたい。
「私はサイレントマジシャンレベル4を召喚、そして手札からレベルアップ!を発動。これによりサイレントマジシャンレベル8を特殊召喚する……!バトル!攻撃力3500のサイレントマジシャンレベル8で攻撃力1500のE・HERO オーシャンを攻撃!」
「うわあああああ!!!!」
十代が腕で顔を覆う。これで十代のLPを2000削ることが出来た。あと少し。
「私のターンは終了!」
「え?」
次に十代が何かをしかけて来ても、攻撃力3500のサイレントマジシャンレベル8に勝てるようなモンスターそういないから、きっとこの決闘は――
「オマエの勝ちだ、歩。もう決着はついた」
「――……え?」
聞き慣れた声がして、振り向けば準くんが立っていた。まあ、翔くんがギャラリーとしているのはいつものことなのだけど、その他に天上院さんと三沢くんまでいる。
「あれ?え?」
「歩くん、計算ミスかい?さっきの攻撃で十代のLPは0になったんだけど」
ポカンとして三沢くんを見ると、くすくすとおかしそうに笑われてしまった。ほかのみんなも、十代でさえも何を初歩的とかそういった問題以前のミスを、と言いたそうな顔をそれぞれしていて面白くもある。……とか言ってる場合じゃなかった。
「嘘ォ!だって……え?あれ?十代、あと500残って」
「ねー!!あったら良かったのになァ」
心底悔しそうにしている十代を見て、本当に勝負はついてしまったのだと知る。
「……か、勝ったのに喜び損ねちゃった……」
「今度からはちゃんと確認しないとね」
翔くんに慰みの苦笑をもらい、私はその場に膝をついた。ばしゃ、と音がする。流れてくる水が心地いい。
「そういや、なんで三人がいるんだ?」
「翔くんが今貴方達の決闘がおもしろいことになってるから是非って言われてね」
「オレは明日香君に誘われて」
「……その時三沢といたらしい神島に、代わりに見て来いと」
ふぅん、と十代は首をかしげた。不本意そうな準くんはそんなことよりも、と言葉を続ける。
「オマエたちこそ、何故こんな場所で決闘をしている」
聞かれ、私と十代は顔を見合わせた。
初めはお互いテーマデッキを組んでいて、出来上がったもので試しに決闘をしようと言うことになったのだ。それで試作と言うこともあって決闘盤なしで決闘を始めたんだけれど、次第に暑さで決闘どころの騒ぎじゃなくなって、一度やめることにした。休憩がてら川で水遊びでもしようと言うことになって、三人でやいやい言いながら遊んでいたら十代が、
「ここで決闘すればいいじゃん!丁度涼しいし、集中できるぜ!……って言って、決闘盤とデッキ持ってきてまたやり始めたんだよな」
「そうそう。レッド寮にはクーラーなんてないし、扇風機もカード飛んじゃうから使えないし」
「……それでわざわざ川の中に入ってやってたのね」
「そしたら二人ともいつの間にか真剣になっちゃって」
ボクはすごい決闘が見られたからよかったけど、と翔くんが笑う。私と十代は今翔くんがそうしているように、足だけ川の中に入れて、岸に腰掛けた。
「でもすっげえ楽しかったぜ!またやろうな、歩!」
「うん!」
決闘前の水遊びで全身ずぶぬれだ。濡れてもいいように黒いTシャツと半ズボンを着てるから、見た目には問題ない。
みんなもする?と聞いたけど、残念ながらいい返事はもらえなかった。まあ、ブルーやイエロー寮は涼しいから必要ないか。
「準くん、柚月に言われて素直に来たんだ」
「決闘だと聞いたからな」
「ビデオでも持ってこればよかったよ。歩くんが十代のハネクリボーレベル10の効果をやり過ごすなんてね。十代、アレは痛かったろ」
決闘盤をはずして、デッキをホルダーにしまいながら、十代は悔しそうにうなずいた。私はくすっと笑ってしまう。あれは自分でもぞくぞくする位面白かった。
「その後のドローを考えると、私は全く油断ならなかったけどね」
ドロー誘発効果や墓地からのモンスター補充なんて連続でされたら、十代の起死回生の逆転勝ちもあるんじゃないか、なんて気が気じゃなかったんだから。そう言っても、勝ったのは歩だろ、と十代は口をとがらせた。こうやって悔しがる十代だけど、これはほんの一時的な姿で、負けてもすぐに気持ちを切り替える。だからこそ十代からの決闘は受け易い。……受け易い、というか、そもそもレッドの私に決闘を持ちかけて来る人なんてものすごく限られてるんだけど。
私は、次はお互いに本来のデッキでやろう、と言って、この話を打ち切った。
「そういえば歩くん」
「?」
「アメリカ・アカデミアのヨハン・アンデルセン。昆虫好きで有名だろ?」
三沢くんの言葉で、私はすぐに顔を思い浮かべる。十代と決闘スタイルと言うか信条が似てる男の子で、嬉しそうに森の中を探検してたのを見かけたことがある。交流戦で代表に選ばれてはるばるこの学園まで来た五人のうちの一人だ。
「彼がどうかしたの?」
「校長に頼みこんで今度の土曜日の夜に外出許可をもらったらしい。蛍を見たいからだそうだ。この島の気候を考えると真冬に光る種もいるみたいだけど、本島にもいるゲンジボタルをはじめ、多種いるらしい」
「へぇ。……で?」
三沢くんの言いたいことが分からず、十代が先を促す。それを受けて三沢くんは人差し指を立ててにやりと笑った。……私に向けて。
「蛍、見たくないかい?」
「え?うん、そりゃ、見たいけど。レッド寮なら部屋からでも見られるんじゃないかな」
「蛍は水の綺麗な場所にしかいないよ。レッド寮の位置は下流の方だし、寮の近くで、となるとブルーの方が適してる。そこで、だ。彼に同伴して蛍を見に行かないか?」
これだ。これを三沢くんは言いたかったのだ。
「あら、いいわね。何人まで一緒に行けるの?」
天上院さんも興味があるのか乗り気だ。……本当は、彼女に振りたかったんじゃないのかなぁ、三沢くん。
「夜の森は一人だと危ないだろ?だから最低でも二人でないとだめらしい。かといって多すぎるのも問題だから、多くても五人、つまり定員は後四人ってわけさ。そしてオレはヨハンから直接、後のメンバーの選抜を任せてくれるように申し出た。つまり人事権はオレにあるのさ」
流石と言うべきなんだろうか。根回しの速さがすごい。何が彼をそうさせるんだろうと思ったけど、それだけ彼は天上院さんが好きってことなんだろう。
「でも、それだとボクたち全員が行けるわけじゃないよね?」
「……おい」
「大丈夫!って言うべきかな。レッド生は数に入らない。普段の扱いの悪さは知ってるだろ?でも歩くん一人だと危ないね」
「あ、じゃあ柚月と見に行こうかな。それだとみんな行けるよね」
定員ぴったりだ、と思った瞬間、十代が準くんを見て口を開いた。
「万丈目、オマエも来るだろ?」
は、として私も彼を見る。さっきから全く会話に入ってこないのは、行く気がないからかもしれない。案の定、彼はひどく不満そうな顔をしていた。
「何故行く必要がある」
そして、これ以上ここにいるとつまらない事に巻き込まれそうだから嫌、と言いた気に私たちに背を向けた。
「歩が行くんだからオマエも来いよ。万が一はぐれたりしたら危ねーじゃん?ホラ、オレ面白いもん見たら周り見えねーし、ヨハンは昆虫のことになるとオレよりもっと見境なくなるし、翔は俺たちのフォロー役だろ。そうなると勿論明日香と柚月、歩を守るのは三沢しかいなくなる。そりゃ、ちょっとキツイぜ。なあ三沢!」
「あ、ああ」
なんとか十代があの手この手で準くんを誘おうとしている。
「ん、私のことは気にしなくていいよ。一人でも大丈夫だし」
「ダメだよ」
無理に誘うことに抵抗があってそういったのだけど、三沢くんにあっさりと払われてしまった。少し難しそうな顔をして、三沢くんは腕組みをした。
「今週の中ごろには天候が悪くなって、雨が降る。雨量はかなり多いそうだ。週末には止むと天気予報ではいってたけど、ぬかるみも酷くなると今いるこの川の水かさと同じく危険も増す。一人じゃ何かあった時誰にも分からない」
「十代や翔くんにくっついてるようにするから、平気だよ。準くんひきとめちゃってごめんね」
「……」
無理に来てもらっても楽しくないなら仮に一人だったとしてもその方がましだ。私たちは彼が静かに歩いて行くのを見送った。
「……歩、よかったのか?」
十代が首をかしげる。気遣いはとても嬉しかったから、私は笑顔で頷いた。
「あとがと、十代。でも嫌々引っ張ってきても、お互い楽しめないだろうからさ」
「そっか?」
うん、と頷くと、空がゴロゴロと鳴り出した。雨が降るかもしれないから帰ろうと三沢くんに促されて、私たちも足早に川を後にした。
土曜日、夜の八時。三沢くんが言っていた通り幸い雨は昨日のうちに止んでくれた。夜の森は危ないから、白い長ズボンに制服の上着を着用する。携帯用の懐中電灯も持って、携帯もばっちり充電した状態でポケットに入れた。
準備は出来た。私は自分の部屋から出ると、十代と翔くんの部屋をノックしてドアを開ける。
二人ももう準備万端でいると思っていたのだけど、部屋の電気はついてなかった。二人の名前を呼ぼうとして、携帯が震える。十代からだった。
「もしもし?」
『あ、歩?悪ィ、ヨハンが早く行きたがってて俺たち先に行くことになったんだ』
「え、聞いてないよ!」
『迎えをやったから、川沿いを上流目指して来てくれよ』
迎えって?と私が聞く前に、十代は電話を切ってしまった。もうちょっと切るの遅くてもいいと思うな!
「歩」
一人憤慨していると、階下から男の子の声がした。間違いなく準くんの声で、視線をずらすと、やっぱり彼が懐中電灯を持って立っていた。いつも通りの黒いズボンとブーツ。それに上は白いカッターシャツの下に、いつも通り制服のインナーを。普段の恰好だと姿が見えにくいからだろうか。
階段を下りてどうして、と尋ねると、彼は私から目をそらした。
「一人だと何があるか分からないからな」
「……あ、十代の『迎え』って、準くんだったの」
「悪いか」
「とんでもない!ありがとう、嬉しい。……けど、準くんこそ、嫌なら無理しないで」
この話が持ち上がった時の反応を思い出して、私ははっきりとそう告げた。けれど彼は少し目を伏せて
「騒がしいのが嫌なだけだ」
そう言って、私の方に左手を。……繋げ、と言うことなんだろう。私はそっと自分の右手を差し出した。彼の大きな手に包まれる。少し力を入れると、彼も僅かに力を込めた。きゅ、と胸が反応する。
「み、みんなはどの辺にいるの?」
「さあな。歩いていけば分かるだろう」
準くんに手を引かれて、随分かさの増した川沿いを行く。さすがにすぐそばを歩くわけにはいかないから、川からは十分に距離を取っていたけれど。それでも勢いよく水が流れる音がしていた。蛍狩りに明りが多いのはよくないと言われて、懐中電灯をつけているのは準くんだけだ。
「蛍、いるかな」
呟くと、川の近くには居なくてもその辺りを飛んでるだろうと返ってきた。蛍を見つけるまでは帰らないぞ、と心に決める。ただでさえ穏やかな気候に恵まれたこの島で本島並に四季を感じるのは難しい。蛍と言えば夏の風物詩、というイメージがあるから是非見ておきたい。
しばらく歩いていると、準くんがこっちを振り返った。
「少しそれるか」
「え?」
「蛍をみるんだろう?もうブルー寮の近くだ。このあたりならいるはずだ」
「う、うん」
川沿いを外れたら手を放した方がいいんだろうか、と考えるけれど、私から放す気にはなれなかった。準くんが放そうとしたら放そう。――十代からは川沿いに来てくれと言われたけれどいいのかな。
全く放れない手を見ながら思う。でも何故かそれを口には出さないまま、私はずっと口をつぐんでいた。
辺りは蛙の声でいっぱいだ。まるでこれ以上声は要らないよ、と締め出されているように思えるほど。黙ったままでも静寂は訪れない。そんな中準くんの手を頼りに、躓かないように地面とにらめっこしていた私はふいに足をとめた彼にぶつかった。
「ご、ごめ」
「歩、見ろ」
明りを消した準くんに促されるまま一歩踏み出して彼の隣に立つと、目の前で蛍が一匹飛んでいた。暗闇の中で綺麗に光っている。
「綺麗……」
淡い緑色の光は不思議と暖かく見えた。消えたり光ったりしながら、その蛍はふわふわと漂うように飛んでいる。蛍の姿そのものは黒いから見えない。だから、光が浮いているように見える。確か、オスがメスを探しているのだっけ。ちゃんと出逢えると良いなあ。
二人で蛍が飛んで行くのを見送っていると、急に茂みが音を立てた。かなり大きく、小動物が立てるような音ではない。
「誰だッ!」
準くんが素早く明かりをつけると、あれ、と人の声がした。
「なんだ、女の子の声がしたからてっきりマックかと思ったのに……」
心底残念そうな顔と声で出てきたのは、なんとあの天上院吹雪だった。その言葉から――帰国以来ずっとそうだけれど――マッケンジーさんを追いかけていることが分かる。その吹雪先輩に目を向けられて、私は居住まいを正した。
「君も蛍を見に?」
「はい」
「そう。なら、この先に蛍が集団で発光してる場所があったよ。もし見たいなら見て来ると良い」
優しそうな笑みを浮かべて、先輩が言う。ありがとうございます、とお礼を言うと、いや、と先輩はすこしおどけたような顔になった。
「蛍の光に中てられた隣の彼に迫られないようにね」
見るのは良いけど、一緒になって発情しちゃだめだよ!などととんでもない発言をして、私たちがギョッとしているうちに先輩は茂みの中に再び身をひるがえしていた。爽やかにウインクを残して行ってくれたけれど、はっきりいって全く爽やかじゃない発言内容のせいで見惚れる暇もなかった。賑やかな人だとは思っていたけれど、よりによってあんなことを言うのか。しかも、言い逃げだ。というか、あの人に言われたくない!
「……なんなんだ」
およそ理解しがたく思っているのが声で分かる。私はさあ、と彼に同意した。また沈黙が落ちて来る。と言っても、やっぱり蛙の声は賑やかなんだけど。
「帰るか?」
「え?まだ一匹しか見てないよ」
思いがけない言葉に見上げると、準くんはどこか落ち着かない顔をしていた。何か用事でもあるんだろうか。……こんな時間に?それとも、彼がもう帰りたいのか。
不安に思っていると、アイツの話を気にするわけじゃないが、と彼がまた口を開いた。
「その、怖くない、か」
「……えっと、なにが?何も怖くないよ?準くんもいるし」
何を恐れることがあるのだろう、と思った時、彼の発言は吹雪先輩が言ったことについてかかっているのだ、と気付いた。でももう答えた後だったから、そのまま何も気づかないふりをした。
「準くん、怖いの?」
「まさか」
何を恐れることがある、と私がさっき思ったことを今度は彼が口にする。それがおかしくて、笑みがこぼれた。
「帰るまでに、せめて十代たちと合流しよ……あ、でも準くんは合流が嫌なんだっけ」
私の言葉に彼は返事をしなかった。この場合それこそが肯定であるというのは明白だ。
「もうちょっとつきあって。吹雪先輩が言ってた場所、探してみたい」
「分かった」
こっくり頷いた彼に連れられて、私たちはまた歩き出した。方向はさっき吹雪先輩が飛び出してきたところだ。歩いて行くと、蛍が一匹、二匹と飛んでいた。点滅する様子はどこか頼りなく見えるのに、よくよく見ると、とても力強く光っているのに気づく。そうしながらメスを探す姿は幻想的なようでいて現実的で、ロマンティックに思えた。
「なんか、いいねェ」
なんとなく、そうつぶやいていた。
「なんだ」
「えっと、……風流だね?」
「……ああ」
舌足らずにでも見えたのだろうか、準くんはくすりと笑う。暗くて顔は見えないけれど、声には笑みがにじんでいてよく分かった。
そのまま少し行くと、準くんがふと足をとめた。また明りを消す。
「いた?」
「見つけた。そこだ」
手を引かれるまま足を動かす。見ると、茂みの中や地面、草木と言う草木の合間に蛍がいて、みんな光っていた。光る感覚もほとんど一緒で、こうして集団で光っているのを見るとどこか毒々しくも見える。
「すごい……」
圧倒されていると、準くんが蛍を掌に乗せた。
「ほら」
まじまじ見る。彼の掌に蛍の光が反射して、蛍本体の姿が見える。蛍はじっと光っていたけれど、しばらくすると準くんが茂みの中に戻した。
蛍を見た満足感で眠くなってきた、と言うと、彼は笑みを含んだ声で帰るか、と促した。行きと違って、今度は森の中を歩く。普段歩いているからか、帰りは酷く早く感じられた。レッド寮の明かりが見えると、何となく寂しくなって。
「今日はありがとう、連れて行ってくれて」
「無事に見れて良かったな」
「うん」
寮の下まで送ってもらって、立ち止まったまま自分の部屋を見上げる。何となく手を放したくない。彼も力を緩めない。これは、名残惜しいんだ。そして、きっと彼もそう思ってくれている。
見上げると、彼が口元を緩めた。じんわりと胸が暖かくなる。手を引くと、するりと私の手が、彼の手から抜けた。
「おやすみ。気をつけて帰ってね」
「ああ」
階段を上がって、部屋の前で彼を振り返る。彼はこっちを見上げていて、私が部屋に入るまで見守ってくれているのだと思うと、なんだか恥ずかしくなった。
小さく手を振って部屋に入り、鍵を閉める。無性にその辺りを転げ回りたい気持ちを何とか抑えこんで、靴を脱ぐ。携帯を見ると、一通メールが届いていた。三沢くんからだ!
『やあ、首尾はどうかな。邪魔したくないからメールにしておくよ。ただ、無事かどうか、確認のためにタイミングのいい時に返信を頼む。オレたちのことは気にしなくていいから、万丈目と蛍狩りを楽しんでくれ』
三沢くん程マメな男子は珍しいんじゃないだろうか。私はすぐに返信画面を立ち上げて文を打ちこんだ。もう寮に戻ったことと、それから天上院さんとは上手く話せたのかとか。送信すると、すぐにメールが届いた。もう戻ることにした天上院さんと柚月を送っているところらしい。十代と翔くんはヨハンくんに付き合っているようだ。もうバラバラでもよかったんじゃないか、と思うけれど、レッドはともかく、ブルーやイエローは何かちゃんとした理由でもなければ夜間の外出は難しいからこれでよかったんだろう。……吹雪先輩は、あれはなんていうか規格外の人だから、あれで良いんだろう。
三沢くんにお礼の返信をする。また出かけられたらいいな、と返って来て、私はそれ以上返信するのをやめた。部屋着に着替えて、ベッドに横になる。部屋の明かりを消すとすぐに眠気が襲ってきた。明日は日曜日だからゆっくり眠れる。そう思うと急に瞼が重くなった。
意識が落ちる直前にメール着信があって、なんとか画面を見ると準くんからだった。
『ブルーに着いた。返信は要らない』
携帯を操作する右手が目に入り、私は右手を左手で包みこんで、そのまま目を閉じた。ずっと握っていたのに、もう彼のぬくもりはない。それでも思い出すとじわじわと暖かくなって、幸せな気持ちのまま、私は意識を手放した。
2010/07/16 : UP