錯綜バイオレット

10: 空打ち

 眼鏡男子、という言葉をご存知だろうか。その名の通り眼鏡をかけている男の子のことを指すのだけれど、かく言う私も眼鏡好きでこっそり眼鏡愛用者をチェックしたりしている。多分大っぴらにはバレていないと思……いたい。眼鏡はおしゃれアイテムとしても人気が高いし、自分でかけるのも、人がかけているのを見るのも好きだ。
「準くんって絶対眼鏡似合うと思うんだよね。黒縁の」
 このアカデミアで眼鏡を入手するのは難しい。こんな所だから日曜日おしゃれをすると言ってバリバリに気合いを入れる人も限られている。つまり、必要がないのに眼鏡を所持している生徒はほぼゼロ。いたとしても私がコネを持っている人ではないから借りるのは無理だ。
「……それで何をするつもりだ」
 そこで代用品、という案が出て来るのだけど、眼鏡代わりとして使えるものなんて言うのは限られている。――……でもレッド寮で偶然見つけたのだ。度は入っていないものの、確かに眼鏡と呼べる代物を。
 私はそれを手に持ち、準くんと机越しに対峙する。
「これ、かけてくれないかな」
 準くんは馬鹿じゃないかと言いたそうな眼に屈する様子のない私に、何かを吐き捨てるよりため息をつくことにしたようだ。
「かしてみろ」
「え?」
 そして思いがけず差し出された掌を反射的に見つめてしまった。うーん、嫌がられるかと心配したのだけど、意外とあっさり掛けてくれそう、かも?
 私がそれを手渡すと、準くんは慣れた手つきでそれを持ち
「……ほら」
 そして急に手の中でそれをくるりと回すと、あっという間に私にかけてしまった。
「……へ?」
 ポカンとして準くんを見ると、彼はくつりと笑って一言。
「オマエの方が似合ってるぞ」
 ……私は悔しくなって準くんをねめつけた。怖くもなんともないだろうことは自分でもよく分かっているけれど、本当に怖くもなんともない、と彼はさらにおかしそうに笑う。
「かわいいわよ、
柚月、それ全然フォローになってないよ」
 準くんと一緒に笑う柚月を恨めしそうに見たって、準くんと一緒で何の効果もありはしない。私は唇をとがらせながら、顔にかけられた眼鏡の代用品――……商品名、ヒゲ眼鏡をはずした。
「準くんにかけて欲しかったのに」
「却下だ」
 準くんは収めきれない笑いを引きずりつつ、ティーカップに口をつけた。伏し目がちになったから長い睫毛がよく分かる。
 うーん、頭の中で黒縁眼鏡をつけてみるけれど、きっと、否、絶対似合うと思うのになあ。黒縁なのは単に私の趣味なのだけど、どうせフレーム付きの眼鏡にするなら黒が一番似合うはずだ。このヒゲ眼鏡も黒縁だし、いいアイデアだと思ったのになァ。
柚月はザマス眼鏡がぴったりだよ」
「なによそれ」
「つり目見たいなデザインのヤツ」
 どう言う意味かしら、と半目で見られるけど気にはしない。十代は眼鏡よりサングラスの方が似合いそう、とか三沢くんはきっと眼鏡をかければよりインテリっぽいとか、翔くんは――……あれが一番なのかもしれない、とか。取り留めもなく呟いてみるけれど二人の反応は薄かった。元々食堂で食後のティータイム中だった準くんのところへ押しかけたから準くんが関心がなさそうなのは仕方ない。柚月ももし準くんがヒゲ眼鏡をかけることがあるならこんな機会を逃す手はないと途中合流したのだけど、そんなこともなかったから少し面白くなさそうだ。
「あ、小鳥遊さん」
 そのままうなだれるように座っていると、何処かで聞いたことのある声がした。
「あ」
 前に、二階から掃除後のバケツ水を捨ててくれたレッド生だった。確か小波くん、だったはず。
「どうしたの?」
「遅くなったけど、これ」
 そう言って渡されたのは何やら大きな袋だった。銀色で中身は見えない。口は大きな青いリボンで結いであった。
 開けても良いか尋ねて、小波くんの首が立てに動くのを確認してからそっとリボンを解く。
「わぁ!」
 中から出てきたのは光と闇の竜のぬいぐるみだった。それも袋が示しているようにかなり大きい。
「この間お詫びに何かおごるって言ってただろ?でも今さらカードパックもなと思ってさ」
「ありがとう……でも、このぬいぐるみ高かったんじゃないの?」
「そこは水かけた時のお詫びと、頭打った時のお見舞いの分だと思って」
 さっきも言ったけど遅くなったし、と彼は言う。
「俺女子の好きな物わかんなくて。姉貴に聞いたらこれ送ってくれたんだ」
「へえ……じゃぁ、お姉さんにもありがとうって言っておいて」
「ああ」
 ぬいぐるみを抱きしめて、そのまま別れると思っていた小波くんを見送ろうと思っていたのだけれど、小波君はチラ、と準くんを見てから、私を手招きした。上半身を彼の方に倒して耳を寄せる。机を挟んで座っている準くんと柚月からはさらに距離が出来る形だ。……思い切り準くんに睨まれているのを目の端でとらえたけど、どうすることも出来ない。
「十代から聞いたんだけどさ、小鳥遊さん万丈目のファンなんだってな」
「う、うん」
「そんでさ、俺小鳥遊さんの好みってそれしか知らなくて。姉貴も俺が小鳥遊さんのこと好きなんだって勘違いして勝手に気合い入れちまった結果がこのぬいぐるみだったんだよ。だから俺は結局小鳥遊さんに手渡すしかしてねえからこんなこと言うのも何なんだけど、値段とかホント気にしなくて良いからな」
「……なんていうか、ごめんね?」
「人の話を聞かない姉貴が悪い。俺が違うっつってんのに聞かねンだもん」
 小波くんはそこで肩をすくめて、そう言うことだからと笑った。
「俺の用はそれだけだから、じゃな」
「わざわざありがとう」
 手を振って小波くんが食堂から出て行くのを見送る。
「先を越されちゃったわね」
 楽しそうな柚月の声に振り返ってちゃんと椅子に座り直すと、声の通りどこかからかうような表情の柚月がいた。準くんは……眉間にしわを寄せつつ、ティーカップに口をつけている。二人とも対照的だった。
「?柚月、今のって……」

 首をかしげつつ誰に対しての言葉だったのか、そもそも何の話なのか尋ねようとすると準くんに遮られた。……珍しい。
 視線を向けると準くんと目があって、それから外れた。彼の目は私が持っているものに注がれている。まさか欲しがってる、なんてことはない……と思う。
「次の授業にそれを持っていくつもりか?」
「あ」
「次はレッドとイエローの合同実技だし無理そうねェ。下手したら没収されちゃうかも?」
 柚月が他人事のように言う。どうしようと呟くと何故レッド生はこうも考えなしなのか、と準くんがため息をついた。……みんながみんなそうではないはずだけれど、私自身のことも含めて今回は言い返せない。
 何処かに置いておく、と言うのももらったものだから気が引ける。校舎内に設置されているロッカーもあるにはあるのだけれど、光と闇の竜のぬいぐるみを入れるには小さい。更衣室のロッカーも高さは十分だけど何せ細いからやっぱり入らないだろう。
「今からでは寮に戻る時間もないぞ」
「イエローでも厳しいわね。万丈目、アンタあずかってやりなさいよ」
 私も無理だしアンタしかいないわ、と柚月は準くんに無茶振りをする。……確かに男子とはいえブルー寮なら間に合うだろう。けれどこれを、準くんが持って歩くの?袋に入れれば見えないとはいえ……。あ、柚月の場合は準くんにこれを持たせるのが目的なのかな?
「何故オレが」
「!あ、良いこと思いついた。鮎川先生のところに持って行ったらあずかってくれるかも!」
 準くんが渋ったのを受けたわけではないけれど、ブルー寮よりもはるかに近くて良い場所を思い出して私はさも名案だとばかりに手を打った。
 保健室。元気な時には縁のない場所だけど、あそこは一種のアジール……学校内のありとあらゆる規則から解放される場所でもある。あの場所では例えクロノス教諭であろうと鮎川先生には逆らえないのだ。だから、その鮎川先生さえ許してくれれば問題ない。
 善は急げとばかりに立ちあがると、柚月に一人で行くつもり、と聞かれた。
一人でぬいぐるみ持っていける?」
「……多分大丈夫。ちょっと行って来るね」
 ぬいぐるみを袋に入れて、少し雑になったけどリボンを結い直す。両手で持ち上げて私は食堂を飛び出した。こうして持ち上げてみると意外と重い。準くんか柚月に手伝ってもらったらよかったなと思っていると、急に袋が手から離れてしまった。代わりに、笑みを含んだ声が落ちてくる。
「これをどこに持って行くんだい、おチビさん」
「あ……ふ、吹雪先輩」
 吹雪先輩はくすくす笑いながら大きな銀色の袋が前から歩いてくるから何事かと思ったよ、と言って目を細めた。――明らかに子ども扱いされている。まあそりゃ、先輩からすると子供なんだろうけど。
「もうすぐ授業で今からだと寮に置いてくるのは難しいので、保健室で預かってもらおうと」
「そっか。じゃあ一緒に持って行ってあげるよ」
「あ、で、でも、すぐですし」
 にこやかな吹雪先輩は確かに私が重く感じた袋を軽々と片手で腋に抱えている。無理をしているわけではなさそうだけど、わざわざ先輩の手を煩わせるのも、と遠慮すると先輩は一つウインクを。
「こういう時は男にも華を持たせてほしいな。ね?もうボク張り切って持っちゃってるし」
 今からキミに返すのもカッコ悪いからさ、と先輩は言う。……いつもこうなら良いのだけど、何せ蛍狩りの一件が強烈過ぎて私は曖昧に頷いた。
「えと、じゃぁお願いします」
「はい、お願いされました」
 先輩はニコニコ顔だ。歩きながら、誰からもらったの、と聞かれた。もらいものだと分かるんですか、と思わず質問で返してしまったけれど、先輩は気を悪くした様子もなくそりゃぁねェと答えになってない返事をくれた。
「だってこれ、触った感じぬいぐるみでしょ。女の子がプレゼントするのはちょっと考えられないかなァ。キミのサイズを見てもネ」
「でも、女の子へのプレゼントかもしれないし」
「それなら相手の子の為に直接寮へ行っても良いんじゃないかな?」
「私が考えなしなだけかも!だからそんなサイズのぬいぐるみだってプレゼントする気に」
「……キミ、墓穴を掘るって言葉知ってる?」
 ムキになって分かりやすいことこの上ないよ、と言われて私は言葉に詰まった。
「言いたくないなら無理にとは言わないヨ」
「え、あ、そういうわけじゃないんです、けど」
「それにしてもこんな大きなプレゼントなんて、愛されてるねェ」
 ニコニコがニヤニヤに変わる。……こう来ると思ったからあまり自ら進んで言いたくなかったのだけど。素直に行ってもきっと吹雪先輩は惚れた腫れたの方向へと話に持っていくに違いない。そんなところまで躍起になるとますます誤解は解けないだろうと思って私は保健室まで来たのをいいことに話を打ち切った。
「どうもありがとうございました」
「どういたしまして。それじゃ、遅刻しないようにネ!」
「はい」
 先輩から袋を受け取る。その時の手つきが優しくて、女子にはホントに丁寧な人だと感心してしまった。見送りもそこそこに保健室のドアをノックする。在室の札がかかっていたし先生はいるはずだ。
「どうぞ」
 案の定中から鮎川先生の声がして、私は失礼しますとドアを開けた。先生は私を見て、同時に目にとまった袋に目を丸くした。
「先生、これいろいろあってもらったものなんですけど、預かってくださいませんか?午後の授業が終わったら必ず取りに来るので」
「それはいいけど……どうしたの?小鳥遊さん今日誕生日なの?」
 かいつまんで説明すると、先生が合点がいったように手を鳴らした。
「なるほど……お見舞い品となるとますます預からない訳にはいかないわね」
 そして、柔らかく笑ってくれた。頭を下げる。
「ありがとうございます」
「授業が終わったら必ず取りに来てね」
「はい」
 保健室に置いてある時計を見ると、予鈴が鳴るまで後十分だ。これなら間に合う。私はもう一度礼をして保健室のドアを閉めて食堂に戻った。
 準くんの姿はもうなくて、柚月に声をかけると万丈目はもう教室へ行ったのか、と逆に尋ねられた。知らない、と答えると柚月はいぶかるように眉を寄せて。
「……あのあと万丈目がを追いかけたんだけど、会ってないの?」
「う、うん。でも吹雪先輩になら会ったよ。保健室までぬいぐるみ持ってもらった」
 言えば柚月はあからさまに天井を仰いで片手で顔を覆った。
「どうしたの?」
「アイツ、一人じゃぬいぐるみ持って移動は心配だったらしくってね。それで出て行ったのよ。まあ、私が行かせたんだけど」
「でも会わなかったよ?」
「声掛ける前にが天上院先輩に捉まって、出るに出られなくなったんでしょうね」
 多分だけど。と柚月は付け足した。準くんが校内で迷うはずがないから柚月の推測は正しいのだろう。
「……悪いことしちゃった、かな」
 呟くと、柚月が席から立ちあがる。
は何も悪くないでしょうが」
「うん、でも……なんて言うの?あ、勿体無い?」
「あえて言うなら万丈目の要領が悪いのよ」
 食堂から出ながら向かう先はロッカーだ。
「上手くいけば光と闇の竜の大きなぬいぐるみを大事そうに抱える準くんが見られたのに私ときたら……!」
「……ああ、なんて言うか私の思考、アンタに似てきちゃったのかも」
 嘆く柚月をしり目に盛大にため息をつくと、なんとなしにお互い目を合わせてくすっと笑い合った。
「さあ、授業に行きましょ」
「うん」
 さて、チャンスを不意にしてしまったのは誰なのかしら、と柚月が呟いたけれど、やっぱり何のことか分からなかった。



 どうしよう?
 授業も終わってプレゼントも引き取った。後は夕飯までにこれを寮に持って帰るだけなんだけど――……どうやってその目的を達成するか。それが問題だ。
 私一人で運ぶには少々距離が遠い。さっきは短い距離だったし同じ校内だしで吹雪先輩の申し出を断ろうとしたんだけど、今度はそうもいかない。レッドで仲の良い人と言えば十代と翔くんだけど、十代はこんな時に限って補習。翔くんは私よりも小さいから一緒に運ぶにしても辛いだろうし。
 私はしばらく考えてから、ぬいぐるみを袋から取り出して、おんぶをするように背負って、その腕を握った。少し前かがみになれば二つの尻尾が地面に着くこともない。
 よし、と思ったところでふと見ると、目の前にレッド生の靴が見えた。
「……小鳥遊さん、俺、ぬいぐるみ運ぶの手伝おうと思って探してたんだけど……何やってんの?」
 小波くんだった。顔を見てないけどこの声は間違いない。
「……ガオー」
 見られてしまっては仕方がない。
 棒読みにもほどがある低いテンションで鳴き声をまねつつ腕をパタパタと動かすと、小波くんが盛大に吹き出した。ひょい、とぬいぐるみを奪われる。
「ありがと。どうやって一人で運ぼうか考えてて」
「それでそんなカッコしてたのか。光と闇の竜に襲われてたからどうしたのかと思ったよ」
 くすくすと小波くんの笑い声は止みそうにない。私は精一杯澄ました顔をして、光と闇にダイレクトアタックされるなら本望です、と言い切ってやった。
「まあでも、小波くんが早めに声をかけてくれてれば襲われることもなかったよ」
「俺も考えなしに渡してごめん。午後の授業中どうしてたんだ?」
「保健室で預かってもらってたの」
 言うと、なるほどなと小波くんが手を……打てないからぱちんと器用に指を鳴らした。とても澄んだ音がして、妙に耳に残る。
「じゃ、行くか」
「うん、ありがとう」
 お昼に吹雪先輩とそうしたように、小波くんと並んで歩く。まあお昼に比べて生徒も散らばってるらしく、人の密度はさほど高くない。そのうちに校舎から出て、私たちはレッド寮へ続く森の中へ入り込んだ。
「なあ、小鳥遊さんは何でデュエル・アカデミアに入学したんだ?万丈目に憧れて、ってやつ?」
 不意にそう聞かれて、私は首を横に振った。
「準くんは確かに憧れだけど……決闘の腕を上げたくて。決闘が弱いのは自分でもよく分かっていたからさ。決闘王とか、プロを目指してるわけじゃないんだけど……」
 改めて振り返ると、私の人生って準くんを中心に回っている気さえする。自分でもあの約束を果たした後どうするかなんて全く分からない位将来の夢、というものがない。
「将来に繋がるわけでもないのに、か?」
 小波くんは武者修行の為だけに来たのか、と眉を寄せた。まあ、当たらずしも遠からず、と言うところが哀しくもある。
「勿論理由があるんだろ?」
「まあね。入学したのは、強くなろうと思ってるのはあくまで目的達成のための手段だよ」
 とは言っても決闘が強いことで得られるメリットは多い。例えば決闘関係の会社や、アカデミアの教師で内定を目指すなら決闘者として強いと言うことは有利を通り越して第一条件である場合があるし、世界各国で開催されている決闘大会の中には参加条件としてプロかアマチュアかは問わないもので優勝賞金の額が恐ろしく高いものもある。プロだけを考えなくても選択肢は数多あるのだ。
 けれど、私にとってそれは飽くまでも副産物に過ぎない。準くんと楽しい決闘をすること。私の軸がそこからブレることはない。私の中心、あるいは芯となるのはあの約束なのだ。
「それで、小鳥遊さんの目的って?」
「ナイショ」
 大したことじゃない。約束のことは柚月にも言ってるから、準くんと二人だけのもの、と言うわけでもない。
 それでも口にするのはなんとなく憚られて、私は勿体ぶったように笑った。小波くんは虚を突かれたように固まった後、すぐに唇を尖らせた。――柚月には言えたのに、どうして言えないのだろう。これ以上誰かに知られてしまうことが、不思議と嫌だったのだ。
「ちぇ」
「ごめんね」
「いいけどさ。ま、いつか分かるんだろうし」
 小波くんはため息をついて言いながら、それ以上追及するわけでもなく引いてくれた。機嫌を損ねたわけではないみたいで、小波くんは決闘が好きなのと、お姉さんにパシリとして使われる日々から逃げるために入学したのだ、と冗談交じりに教えてくれた。……お姉さん云々は冗談、でいいんだよね?
 レッド寮まで取りとめのない話で埋めながらぬいぐるみを部屋まで運んでもらって、私は頭を下げた。
「本当にありがとう」
「いや、頭を下げるのは俺の方だぜ。……ごめんの意味で」
 小波くんは改めてごめんな、と謝ってくれた。それが原因で何処か怪我をしたとか、風邪を引いたりすることもなかったから私はもう気にしないでと言うしかなかった。寧ろお礼をもらってしまって恐縮するのは私の方なのだ。
「今日は素敵なものをありがとう」
 この話は、これで終わり。私と小波くんはお互いに笑いあって別れた。部屋の扉を閉めながらふと携帯を見ると、着信が二件あった。見ると準くんからで、一つは授業が終わってすぐに。もう一つは今さっきだ。
 慌ててかけ直すと、ワンコールで準くんがでた。
「もしもし、準くん」
、今どこにいる?」
「レッド寮の自分の部屋だよ。小波くんにぬいぐるみ持ってもらったの」
 すぐ出られなくてごめんね、と謝って用件を聞く。
「いや、大したことじゃない」
「……?そう?」
「ああ」
 もう良い、と言われて残念に思う。電話をもらった時すぐに出ていればもうちょっと話も弾んだかもしれないし。
「あ、そうだ。昼休みはありがとう。私のこと追いかけてくれたんだって、柚月から聞いたの」
「……オレは何もしてない」
「気持ちが嬉しいってことだよ。……もしかして、電話くれたのも寮までぬいぐるみを運ぶの手伝ってくれるつもりだったとか?」
 尋ねるように語尾を上げても準くんは黙ったままだった。――……電話越しじゃ、図星なのかそれとも言葉も出ないほど呆れられているのか全く分からない。そうだと尚のこと嬉しいんだけどなァ、と誘うように呟くと、準くんがくすりと笑う声が聞こえた。
「オレの手が必要な時は直ぐに言え」
「うん、そうする」
 こっそりと準くんが察して声をかけてくれる方がいいなと思うけど、それは自分の胸の内にしまっておいた。だって普段は十代や翔くんと一緒にいることが多いからわざわざ――三沢くんもそうだけど、準くんを探してまで何かを頼むっていう機会はほぼ皆無だ。厚意に甘えて何でもかんでも頼むわけにもいかないし。だから準くんの方から来てくれたらお願いし易いのだ。……と言ってしまうと、やっぱり甘えてしまうことになるんだけど。
 そこまで考えてふと、つまり私は準くんに甘えたいのだろうか、ということに行きついた。そして心中で首を振る。甘えたいのではなくて、そうして気にかけてもらえることがものすごく嬉しいのだ。
?」
 耳元に穏やかな彼の声。そう言えば口が動いてなかった。
「なに?」
「いや、……切るぞ?」
「あ、うん。バイバイ」
 ぷつ、と音がして、そのあとつー、つー、つーと電子音が続く。思わず口元がゆるんで、私はもらったばかりの光と闇の竜のぬいぐるみにダイレクトアタックをしかけた。ぎゅ、と抱きつき深く息を吸い込む。
 頭の中が蕩けている。甘い、疼きにも似た鼓動が手足の末端まで広がってゆく。どうしようもない。ただただ『衝動』と言う他ないもので満たされた。
 これを私はどう扱えばいいのか分からない。ただこみあげてくる思いを吐き出すようにそっと、震える息で身体の外へ送り出した。

2010/09/08 : UP

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