錯綜バイオレット

12: 幕間2

 彼女のやりたいことは分かる。不当な評価より正当で公平なそれを求めることを悪くは思わないし、当然のことだ。――けれどなんだってオシリス・レッドなんかに。
 頭では理解していても感情として晴れない、と言うのは往々にしてよくあることだ。そう言ったちぐはぐな気持ちは彼の心の奥に芽生えてから今まで摘み取られることもなく順調に成長していた。
 彼、万丈目準は腐心する。普段なら、他の誰かのことなら気にもかけないことにとらわれる。それが意味するところが分からない彼ではなかったが、それを認めてしまうこともまた彼の感情として憚られた。
 彼女、小鳥遊という少女は彼にとって友人と呼べるはずの人間だ。あるいは幼馴染かもしれないが、二人が離れていた期間の長さを考えると古い知人以上、友人並みと位置付けるのが正しいか。その彼女に対して浮ついた想いを抱く己を叱咤したいほどには、彼は自身が胸に抱いているものに気付いていた。
 押し殺すのも自らがそれとして認めてしまっていることに他ならず、彼はやむを得ずそれについて深く考えないようにすることでなんとか目をそらすことに成功していた。全くもって彼らしからぬ判断なのだが、それすら自覚している彼に不用意な言葉は必要なかった。
 受け入れ、向き合うことが出来ない。かつて己の恐れから光と闇の竜を拒んでしまった時のように。
 彼に必要なのはきっかけだった。彼自身の内で絶え間なくせめぎ合うジレンマを打破してくれる――遊城十代との決闘がそうだったように、強く彼女を想う気持ちが、恐れに勝る瞬間を。
 あるいはそれを、失恋だとか、恋敵の出現だとか。具体的にはそう言われるべき本来ならば回避したいような状況をはらんでいることまで彼は気付かなかった。
 オシリス・レッドの男子生徒達に囲まれる彼女を見るまでは。
 先日あった肝試しに彼女が参加することを知った時、彼はそれほど深く考えていなかった。彼はすでに明日香から、厳密にはなぜかその兄の吹雪がやって来てペアを組むようにと命令にも似た『お願い』を、やはり特に考えることなく受けていたから。仮にも彼と彼女が組めることはないのだし、と気にも留めていなかった。けれど発表があったその日に赤い制服を着た男子生徒が思い思いに彼女の名を口にしながら誘いに行こうと画策するのを偶然にも見てしまってからは、正直なところ落ち着かないでいた。大勢に囲まれ、恐縮しっぱなしで全員の誘いを一括して断った彼女をみて彼がひそかに安堵していたのは誰も知らない。
 彼女がオシリス・レッドではなく、通例どおりオベリスク・ブルーに所属していたなら。
 何のことはないただの独占欲なのだが、身勝手な思いに誰よりも嫌気がさしていたのは彼だった。恐らくは以後もこんな風に振り回されるのかと思い恋愛など不要だと息をついても、彼女へ抱く想いが消えるはずもない。最早それは友情を越えてしまったのだと彼は認めざるを得なかった。
 大して近しい間柄でもないのに同じ寮と言うだけで手を繋ぎペアを組んだ小波と言う男子生徒について、十代や翔以上に敵視していたと彼は自己分析をする。それがつまり柚月に対して抱いた感情よりもはるかに強く、ある種暗い嫉妬を彼に覚えさせ自覚に至ったのだが、まさか万丈目がその彼に対して感謝の念を抱くはずもなかった。
 彼は柚月にかけられた言葉を巡らせる。
『そういう気持ちが、傷つけてしまうこともあるわ』
 彼女が言いたかったのは独占欲と嫉妬からくるこの暗い衝動のことだったのだろうか、と彼は思い至った。


神島はどこにいる」
 その日最後の授業だった体育を終え、ジャージに身を包んだ姿で彼は柚月を捕まえた。同じく体操着姿の柚月は一度私が何でも知ってると思ったら大間違いよ、と勿体ぶったそぶりをして見せたが、すぐに体育館倉庫で後片付けをしているはずだと答えてやった。
「そろそろ終わると思うけど」
「分かった」
 柚月の言葉にすぐさま彼の足は体育館へと向かう。柚月はその姿を見てあからさまねェ、と呟いたが、彼がそれを耳にすることはなかった。彼が彼女に対する態度を僅かばかり変えたのに気づいたのは柚月だけだった。彼女は誰にも分からないように、少し口角を上げて満足そうに彼の背中を一瞥すると、着替えの為更衣室へ引き上げた。
 他の生徒とは逆の方向へ歩いて行く彼の姿を物珍しそうに見やる同級生もいたものの、今さら他の生徒の目を気にする彼でもない。ただ少しばかり歩く速度を速めて彼は体育館へを足を踏み入れた。人の気配はまるでなく、彼は伺うように上半身を倒して中を覗き込む。
 彼が彼女を探しているのは、彼女から事前にメールがあったからだ。入れ違いになったかと彼が踵を返そうとした時、まだ倉庫の扉が開いていることに気付いた。
 下靴を脱ぎ、入り口とはほぼ対角線上にある体育館倉庫まで歩く。
「誰か、いるのか」
 呟きと言うには大きく、確認と言うよりは小さく吐き出された声が響き、あれ、と奥から少女の声が返って来て彼は迷わずその姿を捉えることに成功した。
「準くん?どうしてここにいるの?」
 彼女はマットの上で膝をつきながら、きょとんとした顔で彼を迎えた。
 何をしているのか、と彼が問うと、彼女は足が抜けなくて、と自らの足先へと視線と投げた。それに導かれるように彼も習ってそちらに目を向ける。なるほど、彼女の左足はバレーやバドミントン用のネットを張るためのポールに挟まれていた。それも複数本倒れているために、彼女がそのままどうにかして座りこんだとしても、一人でそれを退けるのは無理そうだった。
「何をしているんだ……」
 思わず、と言うべきか彼の口から呆れ返った声が飛ぶ。彼女は少々気まずそうに言葉を詰まらせたが、すぐに彼を見上げると
「体育の片づけは出来たんだけどね、結構中が散らかってて……先生から鍵も預かってるし、次の授業もないし、ついでだから片づけようと思って……あ、他の子もいたけど、先に帰ってもらったの」
「それで、一人になってからこうなったのか。……他に、何処か怪我はないか?」
「足だけだよ」
 小さい身体ながら体育館倉庫の掃除に夢中になるなんて身の程知らずな、と彼は眉を寄せたが、小鳥遊と言う少女はそういう人間なのだと改めて認識するだけで何も言わなかった。代わりに、彼女の足に被さったままのポールを一本一本ゆっくりと脇へと退かす。そしてマットの上に彼女を座らせると、彼女の足を見るためそこに手を伸ばした。軽く診る。彼女は顔を顰めて逃げるように腰ごとひねって足を引いた。
「……当然だが痛めてるな。骨折してるかもしれない」
「い、いたい、よ。やだ」
「痛くしてるんだからそうでなければ困る」
 彼女の足を診ながら平然と言いきった彼に、彼女は涙目になりながらいじわる、と叫んだ。しかし嫌なら無茶とせずドジを踏まないことだ、と返され、それには返す言葉がないのか拗ねた子どもの様に頬を膨らませる。それもすぐに痛みのせいで引っ込んでしまったが。
 彼と彼女の体格差では肩を貸すことは難しい。何とかして抱いて歩くしかないか、と彼がそれを告げようとした直後、倉庫の扉が派手な音を立てて閉まった。
「ひ」
 驚いたのかの短い悲鳴が上がる。彼女の身体がはねたのを、彼は掌越しにはっきりと感じることが出来た。
「レンガの入った袋、ひっかけてたはずなんだけど」
「まれにあることだろう。待ってろ、すぐに開けてくる」
「あ、ま、待っ……痛!」
 目が慣れていないせいもあるが、体育館倉庫には窓がない。全くの闇の中では慌てて立ちあがろうとしたが、足に激痛が走ってそれはかなわず、再びその場にへたり込んだ。
「じっとしていろ」
 無茶をするなと言ったばかりだと言うのに、と彼の声が厳しさを帯びる。だって、と返した彼女の声は痛みのせいか涙声になっていて、彼はにわかに動きを止めた。暗闇や狭い場所を彼女が怖がることはなかったはずだと記憶の糸を手繰り寄せる。泣きそうな声も足の怪我によるものには違いないだろうが、それをおしてまで彼と離れたがらないのは何故か。
 彼女に違和感を覚えた彼は、しばし迷ってから数歩動かした足を彼女の方へと戻した。
「……どうした?」
 膝をつき、片手を彼女の方へと出してみるが全く何に触れることもなく、彼は心がざわめき立つのを感じていた。確かに彼女はそこにいるはずなのに、もしかすると、否、本当にいるのだろうかと不安がよぎる。
 たまらなくなって彼が彼女の名を口にすると、準くんドコ?と頼りなげな声が前から響いた。安堵の息をもらし、彼はひとまず彼女に触れようと手探りで声の方へと動く。そしてさまよわせていた手が何かに触れ、柔らかく温かみを持ったそれに彼女の身体だと言うことを認識すると、確かめるようにしっかりと掌を当てた。
「!ひゃぁ!」
「っ」
 途端上がった彼女の声に、彼は咄嗟に手を引いてしまう。
「あ、あ」
「……、……その、」
 触れたのは足ではない、と言うことは彼にも分かった。けれど恐らくは上半身の何処かだろうと言うことまでは推測でき、彼は闇の中ながら目に見えて狼狽した。
 もしかすると足の他にも痛めていた部位があり、そこに触れてしまったのではないか――ではなく、異性に触られて声を上げてしまうような個所を無遠慮に触ってしまったのではないか、と。
 彼の勘ともいうべきそれは見事に的中していた。しかし彼女はなんとか悲鳴を上げそうになるのを飲み込んで、混乱した頭のまま咽喉を震わせた。
「だ、だだ、だいじょ、ぶ。わ、私お腹、弱くて、それで思わず」
「……そ、うか」
「う、うん。ごめんね、急に叫んで」
「いや」
 二人の間に形容しがたい空気が漂う。と、感じているのは彼女だけだった。彼女は咄嗟についた嘘をあっさりと信じられて、喜べばいいのか涙すればいいのか、はたまた怒ればいいのかと胸中複雑な思いを巡らせる。彼はと言えばまったく視界のきかないことと、彼女がまさか嘘をついているとは露ほども思わずただひたすら自分が危惧したことが杞憂に終わって息をついていた。
 彼の声の調子からそれが分かりますます彼女は切なくなって、ごまかすように自分から彼を探り当てるとその腕と思しきものを握る。それを頼りに彼も彼女を支えるようにその腰に手を這わせた。手探りのせいで妙な心地になるものの、何とか意識しないように努めて彼女はようやく安心してため息をつくことが出来た。得も言われぬ遣る瀬無さを含んでいたことは、彼女だけにしか分からなかった。
、今日に限ってどうかしたのか」
 彼女の怯えようをいぶかって尋ねると、彼女はええと、と言い淀んだ。
「あの、メールで話したいことがあるって送ったよね?それと少し関係があって」
 遠慮がちに途切れた声の先を、彼が促す。
「闇の決闘って……あの、嫌なモノってなんなの?準くんは知ってる風だったよね?」
 きっと彼は教えてくれないだろう。それでも駄目でもともとだと彼女は思い切って尋ねた。明確な答えが返ってくるkとは期待していなかった。ただ、そう吐き出すことで自分の中にある恐怖を払拭してしまいたかった。
「肝試しの夜にあの『何か』の気配を感じたの。……ロッカーの時もそうだったけど、そう言う時は今まで暗い中だったから、今回もそうなるかもしれないと思うと、怖くて。今は足痛いし、暗すぎて周りもよく見えないし……っ」
 正体も分からなくてただひたすら怖いのだ、と彼女は告げた。怯えるしかない精神的な苦痛。身構えることも警戒も何の意味もなく疲労に変わり、襲われればそのまま喰われるしかない絶望的な感覚。圧倒的な存在感に立ち尽くすことも出来ずにいたことを思い出し、は足元から這い上がってきたものに身を震わせた。
 の反応を身体で受け取った彼はしばらくの逡巡の後重い口を開いた。彼とて闇の決闘や謎の黒い化け物について知るところは少ない。
「……向こうの狙いは十代やオレが持つ精霊のカードだ。だからオマエが闇の決闘で襲われることはないはずだ」
 まるで彼女以外に聞かせるわけにはいかないと、彼はごく小さな声で言葉を続ける。
「だから首を突っ込むような真似はしなくていい。下手をすればデイビット・ラブのように昏睡状態になる」
「でも、」
「精霊のカードや闇の霧……オマエの感じる『何か』については口にしないほうがいい。それについてオレたちが知っていることはあまりにも少ない」
 『オレたち』という言葉から恐らく十代も接触したことがあるのだろうとは思う。
 存在を感じることが出来るのに気にしないでいるなんて、と彼女は呟くが、彼女に出来ることがないことは分かり切っていた。彼もそれ以上その話を続けるのを避けて、彼女を支え直す。
「兎に角、ここから出るぞ。支えてやるから」
「……うん」
 この話はこれで終わりにする、と言われているのが彼女にも分かる。痛む足を庇いながらではあったものの、その分倉庫から出ることに集中できたのは二人にとって気持ちを切り替える上でよかったと言えた。
 彼女を支えたまま、彼が内側から扉を押しあける。そこからあふれる体育館に目元が緩んでいく。光があると言うことはこうも安らぎを与えてくれるのか、と二人は思った。
 扉が閉まらないようにと置いてあった、袋の入ったレンガは扉のすぐそばに鎮座していた。彼は自然と外れてしまったのだろうそれを倉庫内に戻し、扉を閉める。鍵を預かっていたはしっかりと鍵をまわしてロックされているのを確認すると、また息をついた。
「歩くのは無理そうだな」
「ん、う」
 緊張したように顔を強張らせている彼女の様子に気付いた彼は、彼女の膝の裏にもう片方の手を滑り込ませるとそのまま彼女を抱き上げた。
「ひえっ!じゅ、準くん、なに」
「入口まで我慢しろ」
 急に横抱きにされて、彼女は戸惑いながらも落ちないように彼の首に抱きついた。そうされてようやく彼も自分が何をしたのか気付いたが、後に引けるはずもなく平静を装ったまま歩きだす。なるべく彼女の足に響かないように、かつ早歩きで体育館の入口へ向かう。そこでを降ろしてやり、彼は自分が脱いだ下靴に足を入れた。
、下靴はどうする」
「あ……体育館シューズ入れがあるから、それに入れるよ」
 彼はそれを聞くと靴箱の中から一足残っていた靴を手に取り、彼女に渡した。それを彼女が受け取り、靴入れの中に入れるのを確認して再び腰を落とす。彼女は慌てたように声を上げた。
「ま、またお姫様だっこするの!?」
「肩を貸すには、お前は小さすぎる」
「……そりゃ、そうだけど」
 おんぶの方がいいな。呟いた彼女に彼はため息をついて背を向けた。
「早く乗れ。手当てが遅れる」
 わがままに映ったかもしれない、とは若干眉を下げた。彼女からしてみれば横抱きのまま保健室まで連れて行かれるのは他の生徒の目もあって恥ずかしいため、横抱きだけは嫌だった。ましてや先ほど恥ずかしさで消えてなくなりたいほどの思いをしたばかりである。彼の顔を見るのも、彼に顔を見られるのも何とか避けたかった。幸か不幸か、彼がそれに気づくことはなかったが。
 おぶわれ、靴袋を持って彼の首にしっかりと腕を回す。その時になって初めて二人はぴったりと隙間なく密着してしまうことに気付き、ほぼ同時に息を詰まらせた。
「……、痛むか」
 彼女の呼吸が乱れたことに気付いた彼は彼女を気遣う。彼女は小さく大丈夫とだけ返事を。最早足を痛みを感じている場合ではない。
 いくら子ども体型だと言っても彼女の頭は年頃の少女である。密着していることだけではなく、彼の首筋に顔を埋めていることや、その髪からほのかに香る淡い洗髪剤の匂いに彼女の心臓は嫌でも早くなった。
 どうか気付かれませんように、と彼女は思うが彼は彼で先ほどよりもより一層近くなった距離と耳をくすぐる彼女の吐息に思いのほかうろたえていたため幸いにも全く感づかれることはなかった。
 彼は体育館から出てまっすぐに保健室を目指す。生徒の姿は皆無とは言い難く、仲睦まじく見えるのだろうかそれとも野次のつもりか投げかけられる視線に二人はそれぞれ気をそらすには何がいいかと考えていた。
「そう言えば」
 先に話題を見つけたのは彼だった。
「肝試しの時、アイツと組んだんだな」
「小波くん?……そうなの。お互いね、十代と組もうかって思ってたんだけど、翔くんと組まれちゃってね、ギリギリまでペア探ししてたんだよ」
 少し気が晴れだしたのか彼女の声が弾む。反対に、自分で振った話題ながら彼は僅かばかり沈む思いがした。何故よりによって小波だったのか、と問おうとしてその理由はすでに明白だったことに気付く。彼女が誘いと言う誘いを断ったのは他ならぬ自身の耳と目で確認していたし、小波と組むことになった経緯は彼女が口にした通りだ。
 彼が明日香と校内に入る際に目に留めたと小波は酷く楽しそうで、友達と言うにしても近い距離に彼が何かかきたてられる思いがしたのを彼女は全く知らない。
「最後の教室でみた天国のグラフィック、綺麗だったよねェ」
「そうだな」
 思い出しながら語る彼女に、彼は淡々と相槌を打った。準くんはつまらなかったの、という問いには技術としては高度だったなと少しずれた答えを返して。
、成績が上がれば次はイエローに移るつもりなのか」
「順当にいけばね。でも制服調達するのが手間だから、ギリギリまでレッドにいて、自分で納得できる成績になったらブルー寮って流れがいいかなって」
 ブルーの制服は大切にしまってあるんだよ、と彼女は言う。それを着る日が楽しみで仕方がないのだと。そんな彼女の声に、彼は急かしかけた言葉を飲み下した。


小鳥遊さんは怪我が絶えないわね?」
「ウウッ……でも自分の落ち度でここに来たのは今回が初めてのはずなんですけど」
 基本的に身体が弱いと言うこともなく健康優良児であるが保健室の世話になることは基本的にはないことだ。
 保健室で鮎川に苦笑され、はむきになって言い返した。彼女の快活さはそのまま子どものように生傷の絶えないイメージを連想させるのか、鮎川は意外そうにそうだったかしら、と目を丸くした。
「先生酷い」
「ちょっとした冗談よ」
 既にレントゲンも済ませ、骨折はないものの打撲だと診断されていた。幸いにも関節部からは外れており固定具はせずに済みそうだと聞かされて彼女は安心する。アイシングも終わり、湿布を巻いて包帯で軽く患部を固定し処置が終わった。
「はい、これで終わり。しばらくは毎日来てアイシングをしましょう」
「ありがとうございます」
「あんまりここの常連になっちゃだめよ?」
「はァい」
 一人で歩くには患部に響くため、松葉杖をつきながらは保健室を後にした。廊下で、彼を見上げる。
「着替えるの、遅くなっちゃったね。……その、ごめんね?」
「……それより、一人で寮まで戻れるか」
「それは大丈夫」
 はにかんだ彼女の顔は、彼の目には取り繕っているように見えた。かと言ってかける言葉もなく、二人はその場に立ち尽くす。
「あの」
 僅かに降った沈黙を破ったのは彼女の方だった。
「力になれないみたいで……ごめん、ね」
のせいじゃない。オレたちのことは気にするな」
 負けるつもりは毛頭ないし、大切な相棒を奪われるわけにはいかない。言いきった彼の声は静かで小さなものだったが、力強さで満ちていた。それを聞いて彼女の表情が明るくなる。
「じゃぁ、私更衣室に行くから」
「ああ」
 言って、二人はそこで別れた。その姿をじっと見ていた影には気付かないまま。

2010/09/15 : UP

«Prev Top Next»